廃墟の作家―J.G.バラード

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J・G・バラード - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBG%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89

60年代には『ニューワールズ』誌を中心に「思弁小説(スペキュラティブ・フィクション)」と呼ばれる新しいSFの形式を呼びかけ、自らも多く発表した。ニュー・ウェーブSFの中心人物のひとりである。当時のバラードの有名な宣言に「真のSF小説の第一号は、健忘症の男が浜辺に寝ころんで、錆びた自転車の車輪を見つめつつ、両者の関係性の究極的な本質をつきとめようとする、そんな物語になるはずだ。」という文章がある。実際に彼が書いた短編小説は、この文章で表現されたような小説であった。
そして、「破滅三部作」と呼ばれる、『沈んだ世界』『燃える世界』『結晶世界』で、破滅していく美しい世界を描きだした。60年代後半には自ら“濃縮小説”と名付けた、断片・断章からなる短篇群を書き、『残虐行為展覧会』にまとめられた。
70年代には『クラッシュ』『コンクリート・アイランド』『ハイ-ライズ』の「テクノロジー三部作」によって、科学技術の産物と人間との関係を追求した。

バラードの名前を初めて知ったのは小学生のころ(70年代前半)図書館で借りた『SF教室』(筒井康隆ポプラ社 1971)の紹介記事だったと記憶する。

なぜそれを手に取ったのか理由は定かでない。恐らく、当時の子供向けSF読み物というのが古典SFを無理矢理ジュヴナイル化して和田誠とか長新太とか横尾忠則とかその手のポップアートイラストレーターに挿絵描かせたようなのばっかり(田名綱敬一の狂ったような絵柄は好きだったが)で、もうちょっと「ちゃんとしたの」を読みたかった、とかそういう理由だったろうと思う。

しかし、当時の俺にはまだ“ニュー・ウェーブSF”は敷居が高かった。そりゃまぁ小学生ですからねぇ。当時の俺はえらい怖がりで、大流行していた『エクソシスト』『ヘルハウス』といったオカルト映画なんか街のポスターの前を通るのも嫌だったし、『結晶世界』の恐ろしい粗筋を読んだだけでこんな怖い小説を読むことは一生無いだろうと思っていた。

しかも当時入手可能な「その手のSF」といったら、創元推理文庫の、金子三蔵描くタンギーホアン・ミロみたいなシュールな表紙の本しかなくて。



しかも中に挿絵がないんだぜSFなのに。ありえない。なのでコドモの俺は定石どおり『レンズマン』とか『スカイラーク』とか『スターウルフ』とかに走ったのであった。

実際にバラード作品に接したのはその数年後、中学生になってからだった。しかも書籍ではなく、FM東京のラジオドラマ『音の本棚』で。

音の本棚 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E3%81%AE%E6%9C%AC%E6%A3%9A

ここでバラードの第一短編集『時の声』から数編が放送されたのだった。こんな作品集をラジオドラマ化するなんて、今思えば凄い英断だ。

中でも特に「マンホール69」「時の声」の2作品にとにかく圧倒された。

どちらも異様な物語である。「マンホール69」は、人間の活動から“睡眠”を抹消して24時間をフル活用することを企図した医療実験の治験者が徐々に異常な精神状態に陥っていく様子を描く。物語はほとんど登場人物の会話のみで進行するが、治験者たちを襲う異変はありがちないわゆる“狂気”ではなく、知覚する“世界”の変容として現れる。たしかこの時、BGMとして使われていたピンク・フロイドの『ユージン、斧に気をつけろ』を初めて聴いている。

「時の声」は、世界が静かに(カタストロフ的な大災害など無く)終末に向かっていく話。主人公の老精神科医の患者だった生物学者は、水の無い乾いたプールの底にビッシリと意味不明な文字のような模様を書いて自殺する。人間の睡眠時間は徐々に長くなっていっており、遂に24時間眠ったままになったとき人類は滅亡するだろうと推測されている。一方、人類は初めて異星の知的生命からの電波信号を受信するが、それは意味不明な数字の羅列であり、どうやら何かの“カウントダウン”らしかった…。

怖がりでヘタレだった小学生は丁度そのころ馬鹿中学生、いわゆる「中二病」まっさかりで(笑)一気にその異様な世界観に魅了された。

俺は今でも、バラードの代表作と言われる長編群よりも、ここら辺の初期短編が最も好きである(いや勿論“破滅3部作”も『ハイ・ライズ』も好きだけどね)。この、

「世界が滅んでいくのに何もしない」

という感覚は、SF小説だけでなく、D.クローネンバーグ(特に最初期の『Stereo』『Crimes of The Future』)、押井守黒沢清を経緯して最近のいわゆる“セカイ系”(この呼び方キライなんだけど)マンガ/ラノベまで、直接/間接に広範な影響を及ぼしていると思う。


P.K.ディックスタニスワフ・レムトマス・M・ディッシュ(自殺なんだよね…ショックだ…)と並んで自分の精神形成に最も影響を与えた作家の一人であった。衷心より御冥福をお祈り申し上げます。