青山真治「AA2」


昨年公開され、7時間を超えるドキュメンタリー映画として話題になった青山真治監督作「AA」。今年4月から京都・高知での公開を控えているこの作品の、続編が制作中であることが明らかになった。


AA〜音楽評論家・間章
http://www.aa-movie.com/


「AA」が「12人の語り部たちによる、不在の人物を巡る7時間30分の旅」であったのに対し、「AA2」はコンセプトとアプローチを180度転換。「もし間章が生きていたら有りえたかも知れないもう一つの歴史」をテーマに、間が逝去した1978年12月以降の音楽と社会情勢を描くものになるとのこと。


つまり、間章自身の映像はCGで製作し当時のニュース映像やストック・フッテージ(素材映像)に合成することで、あたかもその時代に間章が生存していたように見せ、1980年代以降の時代状況に「間章だったらどう批評・発言したか」を考察するものになる。


同様の手法は、ウディ・アレン「カメレオンマン」やロバート・ゼメキスフォレスト・ガンプ/一期一会」でも効果的に使われていたものだが、「AA2」では画期的な試みとして、間章のパーソナリティやキャラクターをシミュレートした専用のAI(人工知能)を開発。脚本家がセリフを考えるのではなく、そのAIに実際に「語らせる・執筆させる」ことで、とかく難解・衒学的と言われる間の評論に肉薄する。


アマルガム・エンジン」と名づけられたそのAIは、膨大な知識量、ボキャブラリー、過激で攻撃的でありながら同時にロマンチックでセンチメンタルでもある独特の文体のプログラミングに丸4年が費やされた。


映画は、現実で間章が逝去した1978年12月の翌年、1979年から始まる。

1979年

この頃には間の関心はジャズ/フリー・ジャズから完全に離れ、スロッビング・グリッスル、キャバレー・ボルテール、ノクターナル・エミッションズ、ナース・ウィズ・ウーンド、SPKなどのいわゆる「インダストリアル・ノイズ」系の音楽に急接近する。


それに伴い、雑誌「モルグ」はこれらのグループがビジュアルイメージとして好んで使用していた死体・奇形・処刑・交通事故等のグロ写真だらけになり、「死体置場」の誌名どおりの雑誌に。

スロッビング・グリッスル(TG)の最初のアルバム「セカンド・アニュアル・レポート」は彼らの目指すものとその音楽的出発のありかをはっきりと教えるインダストリアル・ロック・レコード群中のもっとも重要なレコードである。そこには凶暴な破壊への意思と感覚的肉体的な暴力、すでにある音楽を解体しようという狂的な熱情が込められている。それはそして暴力的であると同時に、ひとつのやさしさへも向かうものでもあるのだ。


「セカンド・アニュアル・レポート」は、ルー・リードの「メタル・マシン・ミュージック」がその役割を終えた限界から出発している。ロックンロールの毒と悪意のそれは過大な発展であり、暴力的な愛を思わせる。その愛はロック自体を解体させようという力をとおして表出されるし、さらにハード・ロックの過激な超出として実現されていく。そしてそれは彼らの共同体を支えるひとつの原理なのである。


「ユーロ・ロック・マガジン」〜「フールズ・メイト」の北村昌士秋田昌美と交流するが、後に決裂


一方、このころから音楽以外の哲学・思想やコンピュータへの発言・評論も増え始める。

1983年

浅田彰、『構造と力 記号論を超えて』でデビュー。“ネオアカ”ブーム到来。同じフランス語専攻として一時期共闘関係にあったが、間が浅田を突然裏切り者呼ばわりして決裂。原因や理由は今だに不明。一説には「アキラの綴りを "Aquirax" にしたのは俺が先」といって揉めたと噂される。

1987年〜

パソコン通信ニフティ・サーブ」にハマる。現代思想フォーラム (FSHISO)などのフォーラム(2ちゃんねるでいうところの「板」)で活発に発言。だが余りに鋭すぎる舌鋒と容赦しない姿勢、論争で決して引かない態度は多くの会議室で物議を醸し(今で言う“炎上”)、多くの敵を産む。


蛇蝎の如く嫌う者が多数いる一方で、一部に熱狂的なファン(信者)やウオッチャー(野次馬)を生む。三枝貴代女史、VOID(日下部陽一)氏と並んで最強の“バトラー”としての名を馳せる。


“主戦場”は後に「ぁゃしぃワールド」を経由して「2ちゃんねる」に移行。「アキラタソハァハァ」「アキラッ糞氏ね」「【非時】アキラタソをマタ〜リヲチするスレ【優しさ】」などのスレッドが乱立する。

1991年

オープンソースUNIXGNULinuxFreeBSD等)にハマる。この時期の著書「闇市(バザール)の不穏さと敵意をもって伽藍を打倒せよ」から。

オープンソースそのものが一つの巨大な地下王国なのだ。王権を持つような強力な存在が無くてもそれは変わらない。そして地下王国に入る入り口はいたるところにあるのだ。ただ、そこに入っていく気持ちと、そして直感と、その入り口を見出す能力さえあれば、どこからだって入ってゆける。どこまでだって深くゆくことが出来る。


しかしどこからが地獄(死のマーチ)なのかを誰も教えないし、誰も知らない。そのような危険を恐れる者、自分の破滅を恐れる者、そうした人間はついにオープンソースを何年使っていても通行客であるに過ぎないだろう。オープンソースはそしてまた巨大なモルグ(死体置場)なのだ。身元不明の死体、生きている死体で一杯なのだ。

中村正三郎岩谷宏と「マイクロソフトUNIXプログラマ全共闘会議(通称ユニ同)」結成、ロフトプラスワントークイベント「MS撲滅・オープンソース系SE総決起集会」開催。成毛真(マイクロソフト社長)・西和彦アスキー社長)と乱闘騒ぎに。

1995年

オウム真理教事件。教祖逮捕・事件の全貌が明るみに出るまで一貫してオウム擁護側の立場に立ち物議を醸す。この時期の著書「私はお前たちの<夜>に与する」から:

お前たちの禍々しさと孤独と狂気に与する。というのは私は決して<日常生活のジャンキー>や<制度の犬>や<健全な生活を生きる敗残者><幸福と平和の奴隷><権力のシステムの一部としての安全な生活者>の側に与しないからだ。


私はお前たちの毒と亡びと悪意に、この地上のとらわれから本当の形で脱する可能性の一部を賭けるからなのだ。お前たちの<夜>の中にこそ、真の闘いの地平があると信ずるし、闘いの入口と出口とその過程があると信ずるからだ。というよりはここで私は告白しよう。私自身もより多くお前たちの<夜>のなかへ身をひたしているし、その<夜>のアナーキーとテロルから真のアナーキズムテロリズムを導き出そうとしているからなのだ。


あらゆる<夜の子供たち>よ、<異形のものたち(フリークス)>よ、まだ夜の底に堕ちてゆけ。まだ毒の森に入ってゆけ、まだ狂気と亡びへ降りてゆけ。

公安にマークされる、小林よしのりに「ゴーマニズム宣言」でひどい似顔絵を描かれるなど、世論の袋叩きにあうも一歩も退かず、かえって男を上げる結果に

1996年

突然、アニメ「エヴェンゲリオン」にハマる。
この時期の著書「アニメの“死滅”に向けて――「新世紀エヴェンゲリオン」の悪意とやさしさ」より。

ありとあらゆる殺意が、愛が、残酷が、あわれみが、生成が、滅びが、憎悪が、やさしさが、その夜の中を生きてきたものたちによって<今>と<ここ>へまで渡ってきたのだった。


アダムとリリス、それがその夜の本質であり、あわれみと嫌悪がその夜の別名だった。地上の自我と制度に呪縛され、アドレッセンスと終末にとらわれてきた夜に住む者。誰よりもやさしさと悪について、愛と滅びについて知っている夜に潜む者たち。お前たちは肉体と感性によって、そしてATフィールドと個体意識によって、言葉と情動によって十字架にかけられた<夜の子供>たちだ。

自意識過剰のグダグダさが性に合ったのか、「久しぶりに正鵠を射た内容」として高い評価を得る。


庵野秀明と「クイック・ジャパン」で対談するも、後に決裂

2005年

パチンコメーカーの(株)平和、「間章という名のパチスロ」発表
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20050401

2007年

突然、東京都知事選挙に立候補。その政見放送から。

今のこの国は最悪だ。政治改革だとかナントカ改革だとか、私はそんなことには一切興味がない。あれこれ改革して問題が解決するような、もはやそんな甘っちょろい段階ではない。


こんな国はもう見捨てるしかないんだ。こんな国はもう滅ぼせ!


私には、建設的な提案なんかひとつもない。今はただ、スクラップ&スクラップ、すべてをぶち壊すことだ!


諸君。私は諸君を軽蔑している。このくだらない国を、そのシステムを支えてきたのは諸君に他ならないからだ。


正確に言えば、諸君の中の多数派は、私の敵だッ!


私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。少数派の諸君、今こそ団結し、立ち上がらなければならない。奴ら多数派はやりたい放題だ。我々少数派がいよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている。少数派の諸君、選挙で何かが変わると思ったら大間違いだ!しょせん選挙なんか、多数派のお祭りに過ぎない!我々少数派にとって選挙ほど馬鹿馬鹿しいものはない!多数決で決めれば、多数派が勝つに決まっているじゃないか。


じゃあどうして立候補しているのか。その話は、長くなるから、掲示板のポスターを見てくれ。ポスターは2種類あるから、どちらも見逃さないように。


私は、この国の、少数派に対する迫害にもう我慢ならない。少数派の諸君、多数派を説得することなどできない。奴ら多数派は、我々少数派の声に耳を傾けることはない。奴ら多数派が支配するこんなくだらない国は、もはや滅ぼす以外にない!


イカクなんていくらヤッたってムダだッ!


今進められているさまざまな改革は、どうせ全部奴ら多数派のための改革じゃないか!
我々少数派はそんなものに期待しないし、勿論協力もしないッ!
我々少数派はもうこんな国に何も望まない。
我々少数派に残された選択肢は唯一つ、こんな国はもう滅ぼすことだ。
ぶっちゃけて言えば、


もはや政府転覆しかなァいッ!


少数派の諸君!これを機会に、政府転覆の、恐ろし〜い陰謀を、共に進めて行こうではないか。


我々少数派には、選挙なんてもともと全然関係無いんだから!


最後に、いちおう言っておくが、私が当選したら、奴らはビビる!...私もビビる...。


間章に悪意の1票を!
間章にヤケッパチの1票を!!
じゃなきゃ投票なんて行くな!!!
どうせ選挙じゃ何も変わらないんだよ!!!!(絶叫して中指を立てる)

デレク・ベイリーによる間章評:

「アイダは世界の全てを敵に回すところから言論を始める男だ。その厳しさを超えてなお共闘しうる関係を彼は“友愛”と呼んでいた。私、スティーヴ・レイシー阿部薫との関係だけを彼はそう呼んでくれた。彼こそが“極北の人”の称号にふさわしい。私に冠せられた“極北の演奏家”の称号は、名誉なことだったけど、今度会ったら返上しようと思ってるんだ(笑)」