西澤諭志 展 −写真/絶景 そこにあるもの−


全く予備知識なく同じINAXギャラリーのギャラリー2で観てちょっとビックリしたのが、若き写真家西澤氏の個展。


西澤諭志 展 −写真/絶景 そこにあるもの−@INAXギャラリー
http://www.inax.co.jp/gallery/contemporary/detail/d_001388.html
http://s03.megalodon.jp/2009-0530-1201-13/www.inax.co.jp/gallery/contemporary/detail/d_001388.html

(引用)
カーペットに配線されたコード1本、棚に置かれたパソコン、貼り痕のある壁など、西澤諭志 (Nishizawa Satoshi)さんの作品は、彼自身が学んだ大学などの公共建築の室内や、什器などをクローズアップした写真です。画面は約2m四方に伸ばされ、対象は等身大に近い大きさとなり迫力があります。蛍光灯の均質な光によって、装置や道具などの物質は立体感を失い、隣り合うものすべてが等しくくっきりとして、独特の存在感を放っています。
ガランと人の気配のない画面は一瞬観る者の不安をかき立てます。しかし、西澤さんの見慣れたものへと注ぐ視線には、反偏在的視覚とも呼びたい、硬質で強靭な博愛的偏愛が感じられます。


いやぁこれは凄い。異様な写真である(←褒め言葉です)。


俺は写真は門外漢で語る言葉を持っていないので(ついでに言うと上記の説明文も良く分からない。「反偏在的視覚とも呼びたい、硬質で強靭な博愛的偏愛」って何…)上手く説明できるか分からないが…。


こちら↓の解説はまだ分かる気がする。
http://www.inax.co.jp/gallery/user_con/an_2009_05.html
http://s02.megalodon.jp/2009-0530-1207-09/www.inax.co.jp/gallery/user_con/an_2009_05.html

(引用)
ふだん見慣れた建物内部や道具のほとんどが、蛍光灯の強く均質な光に照らされて、影をもたない切り絵のように写りこんでいる。被写体の小気味良いほどの素っ気なさは、無音が奏でるノイズの旋律を捕まえようとする聴覚のように、視覚が色の粒子をとらえて、感応の水位のぎりぎりまで盛り上がってくる。カーペット床の金属の配線孔も、ビニールレザーの丸椅子にもブルーのポリバケツにも感応する。


この写真の異様さは何だろう。


例えば黒沢清の映画で、「いかにもホラー」なショックシーンが起きる直前の、何でもないはずの1カットがスゲー怖い、とかそういう異様さである。離人症的とでもいうか。


この個展タイトル『写真/絶景 そこにあるもの』だが、なんで「絶景」なんだろう、絶景って普通は登山写真家が撮ったアルプスとか桂林の世界遺産を撮った写真とかにつけられる言葉だろう、と思っていたたのだが、この「離人症的」という言葉がアタマに浮かんで、ようやく腑に落ちる気がした。


ここで使われてる「絶」という文字は、絶縁体の「絶」離人症の「離」、乖離の「乖」、というニュアンスを持っている。


つまりここでの「絶景」とは「絶妙なる風景」ではなく「絶/景」。対象から視線を絶縁することによって現れてくる「景」とでもいうか(←すいません自分でもよく咀嚼しきれないまま書いてます)。


荒れ地 - id:aretiこと西澤諭志氏のブログ
http://d.hatena.ne.jp/areti/


なんか同じ写真家の福居伸宏氏の作風とも相通じるものがあるような気がする。