崖の上のポニョ
映画・アニメなどで、ネット上であまりに評判が悪かったり・賛否両論だったり・毀誉褒貶が激しかったりする作品は、貶されれば貶されるほどかえって観たくなってしまう、という心理が働くことがある。これを社会心理学用語で「デビルマン・キャシャーン効果」と呼ぶが*1当初あまり興味がなくて行くつもりのなかった『ポニョ』を、つい観にいってしまったのだった。
んで、その感想だけど:
- 単体の作品としてみるとひどくバランスを欠いた奇妙な作品になってしまっている
- だが宮崎作品の流れの中ではとても興味深い要素がいくつか見られる
- そのうちいくつかは宮崎駿の表現の本質に肉薄するものかもしれない
というのが今回の論旨。
『崖の上のポニョ』公式
http://www.ghibli.jp/ponyo/
FlashサイトはウザいのでHTMLサイト:あらすじなどはこちらから
http://www.ghibli.jp/ponyo/press/story/
(以下ネタばれ注意)
さて、観終わってまず感じたのは、強烈な尻切れトンボ感・消化不良・観客としておいてきぼりにされた感覚、といったものだった。「あぁ?これで終わり?いいのかこんなんで…?」という。
パヤオ氏は自分に興味のない仕事は極端にヤッツケになるという疑惑が浮上しているが:
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1168403.html
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_eventnews_20040330d.htm
http://www.mall.mitaka.ne.jp/g-goods/top.htm
今回、『ポニョ』では肝心の「脚本と演出」がえらくヤッツケなのである。『もののけ姫』や『千と千尋―』のようなパラノイア的な緻密すぎる設定と、観客が一度見ただけではとても処理しきれない膨大な情報量*2を湛えた作品と比べると、そのヤッツケ具合にひどく困惑させられる。
シチュエーションをほとんどセリフで説明とか。「世界のバランスが崩れたために月が接近し、地球が崩壊の危機に襲われている」というのはポニョの父親フジモトのセリフだけで説明、ラスト近く「世界が秩序を取り戻した」というのはポニョの母親グランマンマーレのセリフだけで説明。そういうのはシナリオライター教室なんかで最初にダメ出しされるところだろう。他にも、収拾されない伏線、起伏に乏しい平板なストーリー(山があって谷があって主人公の危機があってクライマックスで活劇があって大団円、という宮崎イズムはどこにいった?)などヤッツケ・おざなり・やりっぱなしな点は枚挙にいとまがない。
ポニョの“父親”であるフジモトという存在のキャラ立てが残念なことになっているのも大きい。
http://www.ghibli.jp/ponyo/press/character/
http://www.ghibli.jp/ponyo/press/keyword/005000.html
まず絵づら的に魅力がないし。何ですかこの服のセンスの悪い麻薬中毒患者みたいなルックスは。
さらにアテレコの所ジョージの起用が大失敗。声が硬いしキャラの個性にも合っていない。この人は、TVのグダグダしたヌルいバラエティ番組ではいいが(俺はタレントとしてはけっして嫌いではない)*3、役者・声優としてはホントにダメだねぇ。黒澤明は『まあだだよ』で所を役者としてではなく犬や猫の様な感覚で起用したらしいし*4。あと園山俊二の4コママンガ『ペエスケ』を無理矢理映画化した怪作もあったな。
フジモトというキャラがこういう絵ヅラだとしたら声優はどうみても野沢那智・(故人だけど)山田康夫/広川太一郎系だろう。
「なんだなんだなんだ〜?ポーニョちゃ〜ん、どこ行っちゃったの〜?いー子だから出ておいで〜」(山田康夫の声で再生してください)
「ウオー!まーだ見つからなイカー!もっと探すよウニー!とかなんとか言っちゃったりして〜!」(広川太一郎の声で再生してください)
とか脚本の倍の量のセリフをマシンガンのように喋らせてたらもっと活きたキャラになってたろうに。
「ポ〜ニョポ〜ニョポニョさかなの子〜♪」という歌が耳について離れないとか言ってるそこのパパ!そのサブリミナル効果に負けてついつい娘を連れていっちゃったりしないように気をつけろ!
見せたが最後、終わったあと食事に入ったファミレスや帰りのクルマの中で「ね〜パパなんでポニョはあそこであーいうふうになったの〜?」「なんで○○は××で△△なの〜?」という、パパにも何が何やらさっぱり分からない事柄について死ぬほど質問されるに決まってる。
つまり『ポニョ』は子供に見せときゃとりあえずおとなしくしてるというアニメとは真逆の作品だとは言える。