彼女について私が知っている二、三の事柄―“音響派”を巡る補完

id:amiyoshidaさんの日記から。
http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20070801/1185959524

私がそこに入れられるのはヴォイスをヴォイスでない使い方をしているからであって、微音であるという要素は守っておりません。
あと、たまに私のことをオフサイト一派みたいな切り口で一まとめにして書く人がいますが、それも間違ってます。私はオフサイトでイベントも企画していないし、オフサイトで微音を発見したなんてことはないンすよ。

はい。えーと俺がOFF SITEで聞いたライヴで一番音量がデカかったのは、吉田アミさんのソロ、しかもマイクなしだったと記憶します。小音量とか沈黙とかが吉田さんの表現のテーマというか“軸”になったことは、一度もないのではないかと思う。

音響派ってもっとジャンルが広いし、そもそも、ジム・オー・ルークやオヴァルを紹介するときに虹釜さんのやってたパリペキンで生まれたレコード棚のジャンルの一種だったので、ちゃんと言葉を元の意味に戻して欲しいものです。

上記の吉田さんの日記にもリンクが張られているが:

音響派について - TINAMIXアーカイブから、エスプレッソの大谷氏らによる記事
http://www.tinami.com/x/review/05/
エスプレッソCDレビュー ―音響派について
http://www.tinami.com/x/review/05/page3.html
↑ここに出ているCDこそが、まさに90年代後半〜21世紀初頭に“音響”“音響的”“音響派”と呼ばれていたのだと認識する。そういえば、ジョン・フェイヒーとか、あとはローレン・マザケイン・コナーズまでもが“音響”のくくりに入ってたんだよな。


あとは、Flying Saucer Attack とか GodSpeed You Black Emperor とかモグワイとかにつながる、今で言う“ポストロック”の流れとか、日本だとアステロイド・デザート・ソングスとかバッファロー・ドーターとかの人が楽器使わずに床に座ってエフェクターいじってる時とか、そういう演奏を“音響系”、“音響派”と称していたと思う。『ユリイカ』大友特集の“音響”をめぐる記述にそこらへんが出てきていないのは事実であって、実際はもっと、“ポストロック系”や“テクノイズ系”の比重が大きかった。


こんな感じ?

うわっ!字ぃ小っさい!読めなかったらゴメン。それにてきとうに15分くらいで作ったので、オオザッパすぎるかも(笑)。あと、俺、日本国内の動きで関西系(京都周辺とか)の動きは良く知らないので、そこらへんがごっそり抜け落ちてます、すいません。まぁ異論・反論イロイロあるかも知れませんが勘弁してちょ。


んで、90年代のこの頃の大友さんのメインの仕事は勿論GROUND ZEROだったわけだが、GROUND ZERO自体は融解(解散)するまであまりこの“音響派”的な文脈では語られなかった気がするんだけど、どうかなぁ。もう疲れちゃったから(笑)図にはしないけど、音響派というよりはむしろ:

として評価されてたのではなかっただろうか。


なお、これは誰がどちらが古い新しいとか優劣とかを述べるエントリーではないので念のため。


また、当時のメディアとしてはやっぱ「FADER」と「ESPRESSO」が大きいが、俺がひとつエポックだと記憶しているのが、なんと、月刊『Player』誌上で“(シカゴ)音響派”の特集が組まれたこと。今では想像もできないが。


あの雑誌は、ご存知の人はご存知のとおり、前半がミュージシャンのインタビュー枠、後半が楽器小僧のための楽器講座枠、中央部がディスクレビュー/ニュース枠になっているのだが、中綴じの真ん中へんが、なぜか昔から一種の“サブカル枠”になっていて、この雑誌らしからぬ記事やインタビューが載ったりするのである。


(ずっと昔だとここの枠にイラストレータフランク・ザッパ・フリークの八木康夫が連載を持っていて、俺はそこでキャプテン・ビーフハートとかレジデンツとかLAFMSとかを知ったのだ)


ここに佐々木敦氏が、シカゴ音響派の記事を書いてたのであった。確かガスター・デル・ソル の『Upgrade & Afterlife』 が新譜だった頃のような気がするから、1996か1997年かな?もう手元にないから曖昧だけど。


その後(殆ど佐々木さんの孤軍奮闘だと思うけど)『クロスビート』やら『スタジオ・ヴォイス』やら『BT(美術手帖)』まで、“音響派”の記事が溢れるようになって、Wrkやカールステン・ニコライとかもそっちに入ることになって....大友さんがGROUND ZEROの融解を経てFilamentでこっちに入ってくる、OFF SITEができる、というのはその後だったんじゃなかったかと思う。とりとめもないけど以上このへんで。