大統領選と相撲と政治家の品性。


GWといえば、ああいう映画(昨日の日記参照)を作ってる御仁が、去年はこんな騒ぎを起こしていましたな。


クレヨン慎ちゃんの無邪気な老醜。
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20060503


今年は、偶然にもフランスつながりだが、この御仁と同じ穴のムジナの人物がよりによって仏大統領に就任してしまったりして。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラ・サルコジ

強気な姿勢は国民からも一定の人気がある。移民が数多く暮らしている治安が安定しない地域を視察し、彼等を「社会のくず」「ごろつき」呼ばわりした事は大きな波紋を呼んだ。こうした発言はフランス各地で起こった若者達による暴動激化の一因だとされている。しかし彼はそれでもその姿勢を崩さず、批判を浴びてもそれを物ともしないばかりか、逆にますます過激な強硬発言を増やしている。


そして皮肉にも、文化に対する理解度も石原と同程度だということが露呈したという。
http://www.sankei.co.jp/sports/fight/070509/fgh070509000.htm
http://www.asahi.com/sports/update/0509/TKY200705090300.html

シラク大統領は親日家で、熱心な大相撲ファンとして知られていた。一方、サルコジ次期大統領は2004年に「ちょんまげを結い、とてつもなく太った男たちの戦いのどこに魅力があるのか。知的なスポーツとはとても言えない」と相撲を酷評したといわれる。


お国の芸術家ジャン・コクトーが、相撲を「バランスの奇跡」、相撲取りを「薔薇色のヘラクレス」と呼んで絶賛したのをご存じないらしい。

力士たちは赤い薔薇色の怪力(ヘラクレス)で、システィーナ礼拝堂の天井から降りてきた稀にしか存在しえない種族に属しているように思われる。古来の方法によって鍛練されたある者たちは巨大な腹と成熟した女性の乳房とを見せている。しかしその乳房も腹もけっして過度に肥満した者の乳房や腹ではない。

彼らは昔日の美学に従い、いまとは別の形で分け与えられた力のあり方を示している。他の者たちは我々の競技場で見かけるような筋肉を誇示している。暗色の帯が胴に巻きつき、脚の間を通って臀を露わにし、こわばった紐のスカート(さがり)を腰のまわりに垂らしている。彼らが身をかがめると、この紐が後ろにそそり立って雄鶏かヤマアラシのように見える。いずれの力士も巻き髪を載せ、魅力に満ちた女性的な頭部を持っている。反り返るように頭頂に留められた髪の房は、扇の形に逆立っている。

対戦者たちが意を決して立ちあい、四つに組むや否や、完璧な力の均衡が二人を不動の位置に置いてしまう。目を細めて見ればそこには一匹の獣、これら不動の肉体からなる一頭の薔薇色の牛が見えるばかりである。この橋の形の不動があまりにも長く続くために、もはや誰も息をつけず、この不動はいつか終るのだろうか、対抗し合う力が石に化す場面を自分たちは目撃しているのではなかろうか、と人々は自問せざるを得なくなる。

(映画『シコ踏んじゃった』のクライマックスでナレーションに使われてたのが印象的だったよね)


別に俺、熱心な相撲ファンというわけではないので「わが国の誇る国技を侮辱された!」とか吹き上げるつもりはない。フランスで暴れてる若者達の背後には先導して糸を引いてる左翼系の人々の思惑があるだろう。


しかし、そういう諸々を斟酌してもなお、この御仁の品性がいかほどかのものかは、一連の言動からうかがい知れるというものである。


石原と猿誇示(←こういう誤変換出た!最高だな。「猿である事を誇示する男」(笑))の騒動から教訓を得るとするならば、


コワモテでならす政治家の品性を見極めるには、その文化方面への発言をチェックすればよい


ということかも知れない。


【追記】
さらに重要な事は、この御仁の政治的主張と性格からして、フランスの演劇・音楽・映画人を支援する失業保険制度「アンテルミタン(google:アンテルミタン)」は、どう考えても縮小・削減される方向になるだろうということだ。


参考サイト:フランス文化の危機 - EU・ジャパンフェスト日本委員会-コラム
http://www.eu-japanfest.org/column/01/01.html