ソフィア・コッポラは今後この路線でいけ!


ソフィア・コッポラは、今後しばらくこの路線――映画の定番を、キッチュでカワイイ表象で埋め尽くすことで脱臼させ脱構築していく(いや、そんな大それたモンではないだろうが)――で行くのだろうか。観たいような観たくないような(笑)。


なので、ちょっと、こんなソフィア・コッポラ作品はイヤだ(または逆に観てみたい)というのを考えてみた。


ゴスロリメンヘル少女としての「ジャンヌ・ダルク
時は15世紀。引き篭もってリストカットばかりしているオルレアンの少女ジャンヌは、ある日突然、クスリのせいかココロの病か不明だが“神の啓示”を受けて百年戦争に参戦。オルレアンをイングランドから解放するが、そのあまりにデムパな言動から異端審問裁判にかけられ、火刑に処せられる。


映画としては宗教的なテーマはバッサリ切り捨てられて、メンヘル少女の自分探しと“セカイ系”の屁理屈こねまわしポエムが延々続く2時間半。


主演のジャンヌ・ダルクにはもちろんウィノナ・ライダークリスティーナ・リッチ。音楽は、パブリック・イメージ・リミテッド、スロビング・グリッスル、キャバレー・ボルテールSPKナイン・インチ・ネイルズetc。


ヤリマン・グルーピーとしての「ジョルジュ・サンド
時は19世紀。何不自由ない暮らしを送るオーロール・デュパン男爵夫人は、その凡庸な生活に飽き足らずに複数の男性と次々と関係を持つ。後にその奔放な体験を生かして文壇デビュー。アルフレッド・ミュッセ、フランツ・リストフレデリック・ショパンと浮名を流す一方、男装して社交界に出入りするなど“プッツン女(死語)”として名をはせる。後に何故か政治思想とか社会活動に目覚めて活動家として積極的に発言。


映画としてはフェミニズム的なテーマはバッサリ切り捨てられて、ヤリマン女の幸せ探し内田春菊柳美里センセイばりのトラブルメーカー人生が延々続く2時間半。


主演のジョルジュ・サンドには、誰でもいいけど、へんに演技派女優使うよりは無理矢理ブリトニー・スピアーズとかパリス・ヒルトンとかを起用すると、冒涜感バッチリで最高かも。音楽はマドンナ、シンディ・ローパーコートニー・ラブ、TATOO etc。ブリちゃんとかパリスの自作曲とかも入ってると更に台無し感倍増。


どうだろうか。「女の子であることのラディカルさ」を突き詰めようとするならばココまでやらなくちゃ。え?ラディカルかどうかなんてどうでもいい?そういう発想してるから男はダメなんだ?はい、ごもっとも〜。