モダン/プレ・モダン端境期のジャズの状況


この記事と読者投稿のポイントは、
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20060912
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20060915


「寂しい移民の人妻にシャブを盛ったら淫乱になっちゃってさぁ大変」という歌が放送禁止になったという件(当たり前だ・笑)ではなく、菊地成孔大谷能生東京大学アルバート・アイラー・歴史編(青本)」第2章〜第4章に描かれている、アメリカの、モダン/プレ・モダン端境期のジャズをめぐる状況の、リアルでヴィヴィッドな“現場の声”だというところにあるのではないかと思う。


補足説明を入れると、ハリー・ギブスンとスリム・ゲイラードって、読者のウィリアムズさんの言う通り、いわゆる“バップ”の人じゃないのね。俺もここらへん全然門外漢なんだけど、今ではジャンプ・ミュージックとかジャイブ・ミュージックとか呼ばれる音楽に分類されるのかな?日本のバンドだと吾妻光良氏のスインギン・バッパーズとかバンバン・バザールとかの。(それは違う!とか抗議が来たりして...)


あと、記事の中にある doubletalk(でたらめ言葉)って、当時のシンガーが発明した意味の無い合いの手みたいなのを指しているらしい。キャブ・キャロウェイの「ハイデハイデハイデホー」とか。ゲイラードの持ちネタには「ヴーティ、ルーニー、ミーニーモー」とか「オルーニ」「オーヴォティー」なんてのがあったらしい。


ちなみに、スリム・ゲイラードは、ジャック・ケルアックの「路上」で、ケルアックに非常な霊感を与える“ジャズ・マン”として描かれている。ゲイラードを夢に見るくらい崇拝する友人のエピソードなんかがある。

スリムが「オルーニ」というたびに、ディーンは「イエス!」と答えた。ぼくはこの二人の狂人と一緒にそこに坐っていた。何事も起こらなかった。スリム・ゲイラードにとって全世界は、一つの大きなオルーニにすぎなかった。
(福田実 訳 河出文庫

詩的すぎてどういう意味か分かりませんが。考えるんじゃない!感じるんだ!ってか。


以上のことから分かるのは:

  • 1940年代は、ビバップ、ジャンプ/ジャイブ・ミュージックなんかのクレイジーな音楽(サックスをとにかく力任せに吹く“ホンク・テナー”なんかもこれに含まれるんだろう)は、全て一緒くたにされて一般大衆からは“ビバップ”と呼ばれていた。
  • ケルアックみたいな、当時としては超マニアックにジャズ・ミュージシャンを追っかけて生演奏に接してるような奴がゲイラードを偉大なジャズ・マンとして描いたりしてるということは、当初は、それらの音楽を区別して聴くという考え方は無かったということを示している。ケルアックは他にもジョージ・シアリングを凄い“ホット”なミュージシャンとして描いたりしているし、ケルアックの“ジャズ観”は、現在、特に日本で顕著なジャズ喫茶系ブルーノート原理主義史観とはだいぶ違う。
  • その一方、読者のウィリアムズ氏のような「バップは他の音楽とは違うんだ!」という聴き方が、当時すでに発生してきている。「ウルトラ・モダン」という用語に注目せよ。ウィリアムズ氏は明らかにビバップを“ジャズのモダニズム”という文脈で捉えていて、一括りにされた他の音楽とは違う、もっとハイブロウなものだ、と認識している。だからウィリアムズ氏のジャズ観は、ジャズ喫茶系ブルーノート原理主義史観に直接つながるものだ。大衆蔑視みたいなところも(以下自粛)
  • だが、ウィリアムズ氏のようなジャズ観は当時のアメリカではまだ極めて少数派だったようで、Times編集部からコメント欄でDISられちゃったりしてるわけだ(笑)。現在から見ると天下のTimesがあんな書き方するなんてヒドイちょっとあんまりだ、という気がするが、これは憶測だけど、Times編集部は本気で、ウィリアムズ氏の投稿をキモイ・デムパだと考えていたのではないか。
  • だってTimesの記事の雰囲気は、完全にジャズ・マンを社会的に好ましからぬ人物、として扱っているもんね。今で言えばギャングスタ・ラップのラッパーみたいに。記事の冒頭は「ま た N Y か」って始まってるし。つまりバッパーは、40年代“パブリック・エネミー”だった!(笑)
  • なんでこんなに不当な扱いを受けるかといえば、風俗的にはやっぱ酒とヤクと女っつうイメージが濃厚にあったからというのもあるけど(事実そうだったわけだが(笑))、やっぱバップって音楽が当時のアメリカ社会にとっては相当に異質な、異様な音楽だったってのが大きいと思われる。
  • このアメリカ社会にとっての“異様な音楽”としてのビバップについては、「東京大学アルバート・アイラー・キーワード編(赤本)」第2章「2-1 ダンス(1) 舞踏会からインターロックまで」に詳しい。

次回以降は、この“異様な音楽”としてのビバップを、後継のミュージシャン達がどう受容していったか、つうことを少し考えてみたい。続く。