モダン/プレ・モダン端境期のジャズの状況(続き)


1940年代に登場したビバップは、当時のポピュラー音楽シーンにしてみれば、今からは想像できないくらいラディカルな存在だったみたいだ。


社会風俗的には、ヤクとアルコールに明け暮れるならず者の黒人が始めたアングラでカルトなユース・カルチャーと見做されていて、音楽的には「ジャズなのに踊れない」とか「ノイズ・ミュージック」とか「気狂い音楽」とか呼ばれていたわけで。バッパーは、今で言うとギャングスタ・ラッパー+ノイジャン(笑)、でもオシャレなポップ・イコンという、非常に矛盾した存在だったわけね。


いま手元にある本で、ビバップに関する驚き・戸惑い・賛否両論・毀誉褒貶に関する記述をひっくり返してみると...。


例えば「東京大学アルバート・アイラー・キーワード編(赤本)」第2章「2-1 ダンス(1) 舞踏会からインターロックまで」から。

1950年代当時はバップみたいなさ、「踊れないポップス」っていうのは本当に異端な存在で、かなりメジャー側は戸惑ったんですね。(中略)

ここに面白い資料がありまして、そんな「踊れない」バップのあり方をですね、体制側というかメジャーなエンターテインメント業界側が殆ど怖がって。それまでのカップル・ダンスのフォーマットにバップをなんとか回収しようとして、「バップ用のカップル・ダンス」っていうステップを考案し、宣伝しようとしたことがあるんですよ。(中略)

これはベニー・グッドマンがバップ風の演奏スタイルに切り替えてツアーに出たときに、「この音楽ではこうやって踊るといいんですよ」ってことで、このダンス・チームを連れてフロアで演奏中に躍らせたんですが、お客は誰も踊らなくてツアーは大失敗(笑)。

たしかベニー・グッドマンはバップ嫌いだったとどこかで読んだ覚えがある(出典失念)が、これがトラウマなのか?(笑)


ビル・クロウの「さよならバードランド」から、1956年、フランス、リヨンでクロウが参加したジェリー・マリガンセクステットが演奏した際のエピソード:

僕らの経験したもっとも珍妙なコンサートは、パリでの契約が終了したあとに行ったリヨンでのものだった。僕らはそこで、ダンス音楽を演奏する地元のバンドと一緒に三日間演奏することになっていた。「世界ビバップ・ダンサー・チャンピオン・コンテスト」という特別の催しが、その目玉だった。(中略)

僕らが演奏を始めるや否や、かなり多くの数の観客が怒鳴ったり、ブーイングしたり、カウベルを鳴らしだした。一人の男はバッテリー式のクラクションまで持っていた。僕らは演奏を中断し、いったい何事が起こったのかとあっけにとられていた。観客同士で殴り合いや取っ組み合いが起きていた。

プロモーターの一人がステージに出てきて僕らに説明した。リヨンにはシドニー・ベシェや初期のルイ・アームストロングみたいな音楽しかジャズとは認めないようなこちこちのジャズ・ファンが多いのだと。そんなアンチ・ビバップのグループが演奏を妨害しに来ていたのである。ジェリーはしばらく観客たちの騒乱の様子を見ていたが、やがて言った。「アホらしい。こんなところはさっさと引き上げようぜ」
村上春樹訳 新潮文庫

1956年といえば、アメリカではマイルス・デイヴィスのマラソンセッションを始めとしてソニー・ロリンズサキソフォン・コロサス」セロニアス・モンクブリリアント・コーナーズ」チャールズ・ミンガス「直立猿人」等々、歴史上の名盤が録音された未曾有の年なのに。パリではそろそろヌーヴェル・バーグの時代になるのに。後にフランス・ポスト・フリー・ジャズの拠点となるリヨンとは信じられない(笑)。


もういっちょ。小説だから歴史的な価値はどうかと思うが、アイルランドの映画監督で小説家でもあるニール・ジョーダンの短編「チュニジアの夜」から。観光地を渡り歩いてジャズを演奏するバンドマンの親子が、初めてビバップに接する場面。

彼はそう言うと、トイレに入った。

流れ落ちる水の音にかぶさって、ラジオから雑音が聞こえてきた。流れ落ちる水からすっと湧いて出た音色が溢れるように繰り出されてきて、彼はびっくりした。父親のどんな演奏よりもはるかに速い。それでいて、哀愁を帯びて河のようにゆったりと流れるものがある、トイレから出てきて、つっ立ったまま父親と一緒に耳を傾けた。あれは誰、と父親に尋ねる。

曲のつなぎにアナウンサーがチャーリー・パーカーという名前を言った。父親は、木のテーブルと休暇用借家の床とのあいだの、ある一点を見据えたままだった。
(西村真裕美訳 国書刊行会

いやぁ、これはいい小説だよ。小説の舞台は明記されてないけど、まだロックンロールが登場する前のようだから、1950年代前半のイギリス。主人公の男の子は14歳となっているから、1932年生まれのデレク・ベイリーより数歳、年下か。イギリスのジャズって当時はまだディキシーランドとかのコピーが主流で、そこにいきなりモダン・ジャズが入ってくるんだよね。


当時はネットの発達した現代よりもずっと文化の伝播の速度は遅かったわけで、大陸を渡ればこんな感じだったんだね。


てな具合に、1940年代〜1950年代のバップの受容というのは、賛否両論、毀誉褒貶のまだら模様だったわけだ。


(続く)


俺はアフィリエイトはやってませんが(笑)参考書籍。


東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編

東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編


東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・キーワード編

東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・キーワード編


さよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想 (新潮文庫)

さよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想 (新潮文庫)


チュニジアの夜 (文学の冒険シリーズ)

チュニジアの夜 (文学の冒険シリーズ)


あとは、モダン・ジャズの本といえば、犀のマークの晶文社
http://www.shobunsha.co.jp/
「図書目録」→「映画・演劇・音楽」または「植草甚一の本」をたどるべし。