オンガクという名のチエノワ。


以下、「音楽が分かる」ということはどういうことかについて、取りとめもなく考えてみるテスト。


最近、歯医者に通っている。別に“歯の衛生週間”だからというわけでもないのだが、実は俺、左右の奥歯に大穴開けたまま何年もほったらかしにしてあって、女房に「いい加減に行きなさいよ」と強制的に予約を入れられてしまったからだ(いや、感謝してますよ、勿論)。


通っている歯医者には、待合室に時間つぶし用に“知恵の輪”が大量に置いてある。金属製のけっこうヘヴィーデューティーなやつ。ググったりアマゾンで検索すると、「知的立体パズルゲーム キャスト○○」という名前で出てくる(株)ハナヤマ(http://www.hanayamatoys.co.jp/)の製品のようだ。この会社はこういう製品の大手らしい。


んで、遅刻して順番を後に回されちゃったことがあって。暇つぶしにその中で一番カンタンそうなヤツをいじくっていたのである。


ちなみに、俺はこの手のクイズ/パズル系のものが全くダメだ。職場では“アレリーマン”だし。最近流行の“脳の老化を防ぐクイズ”という類のヤツも超・苦手。TV番組の「脳内エスIQサプリ」なんか大嫌いだ(笑)。恐ろしくて“脳年齢”など知りたくもない。あといわゆる“10回クイズ”(「ピザって10回言ってみて」という類の引っ掛け問題)にも絶対引っかかるクチである。
【私信】だから俺にこの手の話題を振らないように>知人諸君。酒が入ってる時は特に。つーか、そもそもアルコールが入っているときにこういう(以下略)


閑話休題


歯医者の待合室で暇に飽かせて延々知恵の輪をいじくり回しながら、(あ〜、このカチャカチャチンチンいうのけっこう耳障りでウルセーなぁ。もしこの待合室に急な歯痛で我慢できなくて来た患者さんが居たら、俺殴られてんじゃねぇか)とかボ〜〜〜っと思っていたときだった。フッ  と、手元の金属音が止んだのである。アレッと思って目をやると、右手と左手に知恵の輪の別々のピースを持っている。


(あ、解けちゃった...)
(え〜? 俺、今どうやって解いた?解いた瞬間を見てなかったぞ!)
「矢野さ〜ん」「あっ、は、はい!」
(あ゛〜、呼ばれちゃったよ!どうすんだこれ!元に戻さなっきゃ(汗))


...結局、他の知恵の輪の底の方に押し込んで、バックレました(笑)。別にうろたえる必要は全くないのに、考えてみたら馬鹿である。


さて。余りにも長すぎるマクラだが、これからが本題。


ある音楽を聴いて、「分かった」とか「イイ!」とか「キタコレ!!」とかいうのは、この“なぜ解けたのか分からない知恵の輪”みたいなものなのではないだろうか。


音楽が分かる・分かったとは、音楽を理解する・したとは、一体どういうことなのだろう。


ある音楽を聴いて、キタとかイイとか思う。だが、なぜソレをキタとかイイとか思ったのかは、俺には説明できない。「俺はその音楽が分かった」そのことは俺には証明できない。その“分かりかた”が正解なのかどうかも証明できないし、“正解とは何か”ということも解明できない。


なのにこれはイイと思いこれはイクナイと思う、という事実は厳然として存在する。その「分かった」とか「キタ」とか「イイ」とかいう“啓示”を俺にもたらしたものは何か。イイとかキタとかいうメカニズムというか構造とか神秘とかが、なんか音楽にあるのか。(この疑問をそのまま神秘主義やオカルトの方面に持っていくのは何か違う気がする。何故なら“その神秘の音を聴くとクンダリーニが開くから”とかいうリクツがあったとして、“なぜその神秘の音を聴くとクンダリーニが開くのか”は“クンダリーニが開いた自分”には解明できないのではないか。)


俺が考えたいのは、「俺がその音楽が分かる」いきさつや仕組みというのは常に俺の外っかわにあって、俺には認識できないのではないか、ということだ。


なんでこんな中学生・高校生が考えるようなことを今更グダグダ書いているかというと、まぁその知恵の輪事件(失笑)がきっかけになっているのだが、このブログに関して、こういう気分があるからなのだ↓


たまに、このブログを読んでいただいたかたから過分なお褒めの言葉をいただくことがあるのだが、いや、それ自体は非常にありがたく嬉しいことであるのだが、なんか、いつも「コレは俺の手柄じゃねぇ」という気分が凄くするからなのである。善人ぶるつもりは全くなく、マジで。これが、良く分からない。俺、多重人格なのか。大丈夫なのか俺。


ただ一つ言えることは、このブログは、例えて言えば、俺が歯医者の待合室に置きっぱにした解けた知恵の輪みたいなものだということである。だから「○月×日の△△についての感想ですが、アレはこういうことなんですか?」と聞かれても、回答できない。元に戻す方法を知らない知恵の輪みたいに、なんでそう感じたのかは、俺には分からないからである。


だから過去日記について質問されても気の利いた答え出てきません、あしからず。...って結局言いたいのはそこかい、俺(笑)。


あと、杉本拓氏の音楽について考えていたこういう事↓もコレにシンクロしている。

  • 「音楽が分かるとはどういうことか」ということを、音楽を使って表現することは可能か。
  • 「音楽が分かるとはどういうことかという音楽」は成り立ちうるか。
  • 「音楽が分かるとはどういうことかという音楽」が「分かる」ということがありうるか。
  • 「音楽が分かるとはどういうことかという音楽」が、もし「分かってしまった」ら、それは「音楽が分かるとはどういうことかという音楽」にとって成功なのか失敗なのか。

こういう事をどうまとめればいいのか、「三太」を読みながら考え中。



【追記】俺が解いた知恵の輪、ググって見つけた。コレだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002YNBFK/ref=cm_lm_fullview_prod_15/249-2077277-9619523?%5Fencoding=UTF8
レビューがある。なになに....

作り込みが甘く、ちょっと力を入れると正解以外の方法でもはずれてしまいます


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