レビュー:5/22 立川龍志の会@日暮里サニーホール


日暮里サニーホールの立川龍志師の高座に行ってきた。いやはや、凄かった。

  1. 立川 平林(ひらりん) : 真田小僧
  2. 桂 文字ら(もじら):(すいませんネタ忘れました)
  3. 立川 龍志: 七両二分〜紙入れ
  4. 立川 龍志: 蒟蒻問答      (中入り)
  5. 立川 龍志: おせつ徳三郎(上・下)

この日の番組は、ほぼ艶っぽい話で統一。「真田小僧」と「七両二分」「花見小僧(おせつ徳三郎の前半)」はそれぞれネタが付いちゃってると思うのだが、そんなのは物ともしない龍志師の、ガチンコの直球勝負ぶりに圧倒された(ということで前座のお二人の印象が吹き飛んでしまいました、申し訳ない)。


龍志師の凄いところは、野球のピッチャーに例えると“驚異的な地肩の強さ”とでもいうところにある、と思う。普通だったらもう交代だろうという6回7回くらいから“肩が温まってくる”みたいな。そこから更に“球威が増し”たり“球が伸び”ちゃったりするのである。選手でいえば100球肩の江川タイプではなく江夏タイプ。「いくらなんでもここまでは無理だろう」というところで結果を出せたりするのである。


小咄の「七両二分」から同じく間男ネタの「紙入れ」に移行し、終わったあと、中入り前に「もうちょっと演りますか」とおっしゃって(もう敬語)「蒟蒻問答」を演られたのには度肝を抜かれた。中入り後には大ネタ、演劇で言えば二幕ものの「おせつ徳三郎」が控えているのに、である。大丈夫なのか、という心配はこのあと杞憂に終わることになる。


中入り後、「おせつ徳三郎」を前後編ノンストップで。ストーリーは下記のリンク先をお読みいただくとして。後半は、暇を出された徳三郎が、恋仲だったお嬢さんが祝言を上げるという噂を聞いて...という人情噺になっていくのであるが、この噺の面白さの醍醐味は何といっても前半の、大店(おおだな)の旦那と小僧のやり取りである(いや勿論、後半の人情話も深みがあって良かったけどさ)。


この前半のくだりは、よーく考えてみると、けっこう複雑な構造になっているのである。


登場人物をそれぞれ

  • おせつ=A
  • 徳三郎=B
  • 婆や=C
  • 小僧=X
  • 旦那=Y

とすると、噺の構造は:


Y=X {C+(A×B)}


となり、おせつAと徳三郎Bが婆やCの手引きで船宿でデキてしまう経緯を小僧Xが旦那Yに白状する、という一種の入れ子構造になっている。


ここで一番キーになる人物は誰か。それは小僧Xである。


小僧は、日々の仕事の中で年長の奉公人が噂話で口にする「誰それと誰それはデキている」という話題が“大人が喜ぶ話”だということは知っている。だが、“デキている”ということがどういうことかは、“男と女がいちゃいちゃする”くらいまでは分かっているが、その本当の意味までは理解していない。ただ、旦那がそういう話が聞きたくてヤキモキするのが面白いのと、小遣いをくれる・宿下がり(休暇)をくれるというのでしゃべるだけである。


つまり、おせつと徳三郎がデキたというその“意味”は小僧には意識化されないまま、旦那のほうには“意味”と“事の重大さ”が伝わる、という仕掛けになっている。そして観客は、旦那の“いぶかり→まさか→よもや→もうオチは読めているのだが聞かずにはいられない→やっぱりそうだったのかと激怒”、という感情のグラデーションについ爆笑してしまうのである。


かように複雑で繊細で肌理細やかなシチュエーションを、一人の演者が演じ分けて、人を爆笑させるのだから、落語というのは実に高度で洗練された話芸だと思うのだ。


「もう、くったびれちまって、あんなんやんなきゃ良かったなんて(笑)」とかマクラで話しながら、最後まで緊張の糸の途切れることなく見事に大ネタを話切る龍志は、ほんと一流の噺家だよな、と思った。感服。


【参考サイト】
落語のあらすじ 千字寄席
http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/


落語の舞台を歩く - “吟醸”さんのWEBサイトより。
http://ginjo.fc2web.com/
「花見小僧(おせつ徳三郎・上)」
http://ginjo.fc2web.com/100hanamikozou/hanamikozo.htm
「刀屋」(おせつ徳三郎・下)
http://ginjo.fc2web.com/62katanaya/katanaya.htm