ギター・ミュージックとしてのデレク・ベイリー


ここではあえて、純粋にギター音楽としてのベイリーの魅力というか聴き所を、ちょっと“プレイヤー”誌や“ギター・マガジン”誌的に説明してみたりするテスト。

20世紀後半のギター、特にエレクトリックギターではひずみとゆがみ、ノイズ的な倍音の追求が大きなテーマだった。特にブルースなどの黒人音楽では、ざらついた音やバズ(buzz)音(弦のビリツキ。和楽器でいうサワリ)があるのが好き*1という黒人的な感性の発露として常にひずんだような音が好まれてきた。その音の嗜好は遂にはマーシャル・アンプ+ファズペダルで大音量で弾くという形で実現し、黒人だけでなく多くのギター少年を魅了した。ここら辺は皆様ご存知のとおり。


さて、その一方で、そういう黒人音楽ルーツの流れとは別のアプローチでゆがみ・ひずみ・倍音・ノイズに取り組んだのがベイリーの音楽だと思う。

  • 現代音楽的な不協和音の使用:本人はヴェーベルンやセリエリズム、初期電子音楽サウンドに影響を受けたと自著「インプロヴィゼーション」で述べている
  • ハーモニクス奏法の多用:しかも12・7・5フレットという“いい音の出るポジション”ではなく、4フレットや3フレット付近で出る“キツイ”音を好んで使う
  • ギターの弦を、通常の場所ではなくブリッジとテイルピースの間で強く弾くことでノイズや倍音を出す
  • ヴォリューム・ペダル奏法:不協和音を弾いておいて、ペダルでギターのアタック感を消して“音で出来た雲”のようなモワっとした音響を出す。俺は、リゲティの“トーン・クラスター”の影響ではと思うんだけどな。


こういうサウンドの追求を40年にわたって続けてきたのがベイリーの音楽だ。その影響は、例えばジミ・ヘンドリクスがもたらした革命のようなメインストリームにはなりえなかったが、少数だが重要なオルタナティヴな音楽家に、確実に影響を与え、受け継がれている。


例えばソニック・ユース


ソニック・ユース(以下SY)は、とかくいわゆる“グランジ・ロック”の元祖という見方をされがちだが、そのルーツのひとつには、確実にベイリーがあると思う。


SYの、あの「ギョォーンンー...」という歪んだというか“ひしゃげた”という形容がふさわしいようなギターは、“エレキで凶暴なことやってる時のニール・ヤングデレク・ベイリー”という捉えかたをすればわかりやすくなる気がする。


あと、“グランジ”以降のギタリストがよく使うフェンダージャズマスタージャガーというギターは、ブリッジとテイルピースの間が長く開いているので、その間の弦を強くピッキングすると、「パキーン」って倍音とノイズが混じったような独特の音がする。このブリッジとテイルピースの間を弾くというのも、ベイリーが好んでやる奏法だ。


また、SYから始まったギター・ミュージックの流れとしては、SY→グランジ、という“定説”とは別にもうひとつ、SY→フライング・ソーサー・アタック→ゴッド・スピード・ユー・ブラック・エンペラー→モグワイ→ボリス、というような、いわば“音響ギターの系譜”とでもいうべき流れがあるが、ベイリーはこれのルーツのひとつとしてもカウントできると思う(もうひとりの巨頭としてはキース・ロウなんかが挙げられると思う)。


結局、ギタリストとしてのデレク・ベイリーは、

新たなギター・ミュージックの美学を見出し、確立した所に、大きな功績があるのだと思う。


うーーー....、こういう見方は、御大の偉大なる功績を矮小化してしまうリスクがあるかなぁ...。いいのか俺。


でもね、故・間章流の“即興の鬼”“表現の極北”“ジャズを殺した男”的な持ち上げ方もさぁ、ちょっと過大評価が過ぎるっつうか、大げさ過ぎる印象がある。今読むとなんか提灯記事っぽく読めちゃって笑っちゃうんだよねぇ、間章の文章って。俺がスレてんのかなぁ。

*1:例えばアフリカの親指ピアノ(ムビラとかカリンバとか呼ばれるやつ)は、本来澄んだ綺麗な音がでる楽器にビーズや鎖を絡ませてビリビリとビビる音が出るように細工されてたりする