今更ながらユリイカ「ポスト・ノイズ」

http://www.seidosha.co.jp/eureka/200503/

ブログにおける大友氏と菊地成孔氏のやり取りを読んだら、この特集冒頭に載ってる鼎談のときの裏話で、なんかまるで文庫本の後書きを読んだらネタバレ満載だったみたいな感じで(笑)困っちゃったな(なのでリンクやトラックバックはしない)。


ん〜。この雑誌、昔からそうだけど、編集部の「前説」が無いのはちょっと無責任なのではないかと思う。


例えば「Studio Voice」だったら、特集の扉には必ず編集部によるマニフェストというかオリエンテーションみたいな記事があるでしょ、「今、時代はこうなのだよ」みたいのが。


やっぱ企画意図が分からないもんね。鼎談でもそういう風に語られているし、後のほうの大谷能生氏の寄稿にも「状況設定が理解できない」と書かれてるけど。ほんと、ポスト・ノイズって何。こういう言葉を特集のタイトルに掲げるなら、まず編集部か企画を立ち上げた人が、


「ウチらは、所謂“ノイズ”ミュージックをこうこうこういうモノだと捉えています。そのウチらが考える“ノイズ”の状況は、最近、これこれこういう理由で、一段落・ひと区切りついた、またはつきつつあると考えています。その状況をウチらは“ポスト・ノイズ”と名づけたい。そんで、この後どうなっていくのか、アーチストやジャーナリストの方々と共に考えてみたい」


....というプレゼンテーションをしないと、読者にも寄稿する人にも意図が分かんないよ。それをやるのは編集部の義務だと思うし、それをしないのはちょっと無責任なのではないかと。


んで、どっかに編集部側の人の“肉声”がないかと、隅々まで読んでみましたら、こんなのを発見。Merzbowの秋田氏とborisのAtsuo氏の対談で、司会をしてる編集さん(?)の言葉:

そこ(注;ユリイカ1998年3月号の秋田氏へのインタビュー)から七年の間に、メルツバウはツールとしてラップトップ・コンピュータを定着させ、今や一般家庭にも完全にコンピュータが浸透し普及したわけですが、このアナログからデジタルへの移行というテクノロジーの世代交代が起きたことをふまえて、改めて今ノイズ・ミュージックに対してどんなことを感じますか?

これかな?これが唯一編集部側の“認識論”みたいなコメントなんだけどな。つうことは、要するに“ポスト・ノイズ≒ポスト・ラップトップ”または“ポスト・ノイズ≒ポスト・テクノイズ”という認識なのかな。う〜む。でもそれだけだと余りにも一面的な気もするし....。


しかしどうも違和感を覚えてしまうのは、やっぱ、非常階段やインキャパシタンツからの流れ、いわゆる“ジャパノイズ”の音楽のことがスパッと落とされてるつうか黙殺されてるつうか、そういう部分なんだけどなぁ。なんで?