それは「〜に過ぎない」のか――吉村光弘『「ONKYO」と「OTOMO YOSHIHIDE」』

このような音楽が、欧米において翻訳によらずに「ONKYO」と呼ばれるような事態になったことは、大友良英の紹介によるところが大きい。しかしながら、私は大友がOFF SITE的な音楽に、積極的かつ肯定的な発言をしていることに対して、いつもどこかで違和を感じてきた。大友がOFF SITEで演奏する機会の多かった音楽家(例えば杉本拓やSachiko Mなど)にシンパシーを感じていたとしても、彼らと大友の間には徹底的な音楽的「断絶」があるように私は思われたからだ。
(吉村光弘『「ONKYO」と「OTOMO YOSHIHIDE」』―『総特集◇大友良英』所収)

吉村氏はこのエッセイで、

では大友の、とりわけOFF SITEで見受けられた、音響的な即興演奏に寄せる関心の焦点はどこにある(あった)のか?

と問いを立て、大友氏の『Improvised Music from Japan』誌でのエッセイ(氏名の英語表記を "Otomo Yoshihide" と、姓→名の順で記すことのこだわり)を踏まえて、こう述べる。

一般にコミュニケーションにおいて、摩擦や誤解は避けられるべきものであり、排除されてしかるべきものである。それらがコミュニケーションを困難なものとし、また場合によってはコミュニケーションそれ自体を不可能にしてしまうからだ。しかしながら、大友は、コミュニケーションにおけるそのような「不可能性」をこそ重視しているようにみえるのだ。もしかしたら、この「混乱」「齟齬感」「摩擦」「誤解」といったことは、大友の音楽の志向性全般に当てはまるのではないか?

と仮説をたてたうえで、大友氏の音楽について

むしろ、大友の音楽の志向性と可能性は、他者とのコミュニケーションにおける「誤解」や「齟齬」をそのまま受け入れることによって、何らかの軋轢を生じさせ、音楽的な「成功」をどこまでも遠い地点に追いやるところにあるのではないか。

大友が求めているのは、あくまで異なるものの共存であり、異なる言語の交通である。その交通の場を安定したものとして定型化するのではなく、それを自ら危険な状態へと揺り動かし、そこでもコミュニケーションの一瞬の「可能性」に賭けること、賭け続けること。大友が求めるのはこれである。

と結論づける。鋭い論考だ。正鵠を射ていると思う。


吉村氏は続けて、ではなぜ大友氏は“音響”的な表現にコミットする(したがる)のか、という論考に移って、

そもそも大友の音楽は、異なる「言語」やバラバラな「素材」の寄せ集めであるといえる(それがもっとも顕著となっているのが「ONJO」であろう)。その意味で大友の音楽には、核となるような「本質」や「中心点」が存在しない。

ミニマムなものはとことんミニマムであり、マキシマムなものはとことんマキシマムなのだ。とにかくその振り子の振幅が激しいのである。一方に偏ったかと思うと、そこに長くは収束せずに、もう片方に急激に移動する。

と述べ、最終的にこう結論づける。

(前略)そして「ONKYO/音響(派)」も、大友にとってそれらは求められるべき最終的な結果ではなく、たんなる一つの手段であり、通過点に過ぎないのである。つまりそれぞれのプロジェクトの志向性は全くバラバラであり、それらのすべてを貫くような「本質」といったものは存在しない。むしろ、この徹底的なまでの本質の「なさ」こそが、大友良英という音楽家の本質であり、そしてそのことが大友の存在を稀有なものにしているのである。

大友にとって「ONKYO/音響(派)」とは一体何だったのか?それは大友自身とは異なる言語体系を持つ、徹底的な他者=外部であり、また音楽的な「軋轢」を引き起こすための(一つの)「手段」であったのではないか。そしてまた、そのための(たんなる)「素材」に過ぎなかったのではないか。

以上、長々と引用させていただいたが、吉村氏の論考を踏まえて、俺の私見を述べる。


俺はかつて、このブログで、大友氏とONJOについてこのように分析した事がある(うわ〜、もう2年も前か....)。


大友良英とは何か・ONJOとは何か
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20050702/p2

大友氏はその今や決して短くないキャリアの中で、実は、常にシーンの傍流というか、マージナルな位置にいたアーティストだった。

  • ターンテーブルを使ってもいわゆるDJではない。
  • 爆音ノイズを轟かせても、日本のいわゆるノイジャンに連なるわけではない。
  • いわゆる日本のフリージャズ(中央線系とかいわれる)シーンにいたことはないのではないかと思う。
  • ジョン・ゾーン人脈のいわゆるNYダウンタウンシーンのミュージシャンとは数多く競演してるけど、その一派ではない。
  • 映画音楽を多く手がけているけどいわゆるスコア・サントラの作曲家ではない。
  • ジャズの捉え直しといっても、ドルフィーとコールマン。

(中略)
いろんなジャンルの音楽や演奏スタイルが緩くつながりながらまぜこぜになっているイメージ。音楽や他民族国家の比喩としてよく“坩堝”とか“サラダボウル”とかいう言葉が使われるが、大友氏の場合は、この“もんじゃの土手”みたいなイメージのほうがふさわしい気がするんだけど、どうかな。普通なら相容れないはずのものがゆるく混ざり合ってる感じと、中心がなくて周縁だけがあるみたいな感じ。


俺のこの“見立て”は我ながらまぁ「当たらずと言えども遠からず」じゃないかなと思っていたのだが、吉村氏の

核となるような「本質」や「中心点」が存在しない

それらのすべてを貫くような「本質」といったものは存在しない。

この徹底的なまでの本質の「なさ」こそが、大友良英という音楽家の本質であり

という論考を読んでその意を強くしたところがある。「やった」みたいな。


あと、

振り子の振幅が激しい

一方に偏ったかと思うと、そこに長くは収束せずに、もう片方に急激に移動する。

という点に関しては、俺なりの説明はこんな感じ:

そして大友氏は、この“土手の両岸”つまり表現の両極を振り子のように揺れ動くのを、常に意識して行っているアーティストだ。例えばFilamentみたいなミニマルの極地の活動の一方には、必ずAnsamble Cathodeみたいなエクストリームな表現が控えているという具合に。

それはちょうど、北野武がアート系映画監督としての姿とテレビタレントとしてのビートたけしを明らかに意識して演じ分けている様子に通じるところを感じさせる。

(↑なんかこの文章、日本語おかしいな...)


つまり表現者としての大友良英は、俺が↓ここに載せた円の上をブーン・ブーンと旋回する、巨大な“フーコーの振り子なのだ、というのが俺の見立て。
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20050702/p2


さて。


俺は、吉村氏の論旨は正鵠を射ていると感じるし概ね深く賛同する。以下には、若干の違和感を感じるところと異論を差し挟みたい。

そして「ONKYO/音響(派)」も、大友にとってそれらは求められるべき最終的な結果ではなく、たんなる一つの手段であり、通過点に過ぎないのである。

大友にとって「ONKYO/音響(派)」とは一体何だったのか?それは大友自身とは異なる言語体系を持つ、徹底的な他者=外部であり、また音楽的な「軋轢」を引き起こすための(一つの)「手段」であったのではないか。そしてまた、そのための(たんなる)「素材」に過ぎなかったのではないか。


俺はここで使われている「〜に過ぎない」という表記は、ちょっと言いすぎのように感じる。別に、大友氏を擁護するつもりでも、いい子ぶって「先生、吉村君は言い過ぎだと思います!」とかそういうことを言いたいのではない。以下にその理由を述べる。


先に述べたとおり、大友氏はその表現活動において「振幅が激しい振り子」のように「表現の両極」を「急激に移動する」のが特徴だ。なんか常に(または何か達成するとすぐに)「これでいいのか?これじゃダメなんじゃないか」とか考えはじめちゃう、「安住できない」みたいなところがある。


突然だが、ここで俺は、吉村氏の冒頭の一文、

大友良英の音楽の本質(というものがあると仮定するならば、それ)は一体何か?

という問いかけに対して


それは“アンビヴァレンス(ambivalence)” である


という回答を、提示してみたい。大友氏の音楽の全てがそれだとは言わないが、俺は少なくとも“本質”の要素の一つとして、間違ってはいないんじゃないかなと思っている。


例えば。


佐々木敦テクノイズ・マテリアリズム』の中で、佐々木氏とのメールによる往復書簡の中で、“グラウンドゼロの融解”について大友良英氏はこのように述懐する。

あの頃、楽器をびんびん弾いて自己主張するような即興演奏が、もう生理のレベルで嫌いって状態になっていたってのもあります。自由といっておきながら、結局、どう構成するかに価値判断を置くような即興とかが、なんだかバカバカしく思えて、嫌で嫌で仕方なかった。
(『テクノイズ・マテリアリズム』「二十一世紀のフリー・インプロヴィゼーション」p.147)


ちなみに、これに前後して、あの有名な

楽家はただ音を出す無力な存在でいいかなと、いや、いるべきじゃないかと。
(同 p.145)

という“テーゼ”も初めて出てくる。


ここで、大友氏が「楽器をびんびん弾いて自己主張するような即興演奏」が「生理のレベルで嫌い」になったと述べていることを受けて、誰か特定のミュージシャンを“仮想敵”として想定しているとか、グラウンドゼロのバンドメンバーの誰それが嫌い(笑)とか捉えるのは、間違っている。


これは要するに“八つ当たり気味の自己言及”であって、嫌悪感のターゲットになっている対象は、ほかならない自分自身だからだ。


なぜならば、俺は、“プレイヤーとしての大友良英の資質”・持ち味・魅力は、まったくもって「びんびん弾いて自己主張するような即興演奏」にあると思うからだ。


実際(ご本人は不本意で気を悪くするかも知れないが)大友氏が演奏で一番ヴィヴィッドに活き活きして見えるのは、ターンテーブルのテーブル割れるんじゃないかというくらいにガッツンガッツンたたきつけてる時とか、カートリッジ潰れるんじゃないかといくらいにガシガシやってるときとか、レックや中村達也と共演してるときとか、ギブソンSGをギャピーーーッとハウリングさせてるときとか、だと思う。


いや、確かに大友氏はそれだけじゃないよ?それだけじゃないのは重々承知のうえだけどさ、フリージャズ/パンク/ノーウェイヴ/ノイズミュージックを出自とする大友氏の“血”は、やっぱそういうガンガンやるほうにある、と思うのだ。


で、大友氏は常にそんな自分に対して「そんなんじゃダメだー」とか「それだけじゃダメだー」とか考えて反対側にいこう反対側にいこう、とする傾向がある、または、あった。それこそ北野武的に(わりと最近はそういうアンヴィヴァレンスから“自由”になってきたように思うけど。楽しむ自分を許容するようになってきたというか)。


大友氏の“音響的即興”へのコミット、メルマガ及び『planB通信への』連載「聴く」の執筆、吉村氏が違和感を感じていたところの「OFF SITE的な音楽に、積極的かつ肯定的な発言をしていること」「OFF SITEで演奏する機会へのシンパシー」には、以上のような経緯と背景がある。


つまりそれは、グラウンドゼロの行き詰まりに端を発する大友氏の実存の危機、アイデンティティ・クライシスに対する葛藤・相克をいかに超克するかという内的闘争の過程であった。


そしてその過程が時代の状況・動静とシンクロしていた(これは大友氏の鋭敏さと常に世界の音楽シーンを旅していた皮膚感覚によるものだろう)ことが、その後“Otomo Yoshihide”をいわゆる“音響的即興/ONKYO”と呼ばれる音楽の、「リファレンスの第1項」に押し上げることになった(なってしまった)。


そこには一種の功罪がある。例えば、現在の『三太』同人各位の音楽活動は、『テクノイズ...』に描かれた大友氏の一種“ロマン主義”的な感覚とはまさに真逆のものだし、『テクノイズ...』で描かれた時代は:

  1. 1998年 ISOとFilament始動
  2. 1999年 Sachiko M "Sine Wave Solo"
  3. 2000年 Filament "29092000"

と、もう十年近く前の話だ。それはビートルズがブレイクしてから解散するまでの年月、モダン・ジャズがハードバップが始まってからフリージャズが勃興するまでの年月に相当する。Filament のライヴのエポックだったエヴァン・パーカーエレアコオープニングアクトから数えても7年。7年とはIT業界やコンピュータのテクノロジーで言えば“ひと昔”である。これでは杉本拓氏に「停滞」と言われても反論の余地が無いではないか。


いまや、

  • “音響的即興といえば大友” というリファレンスのしかたは、
  • “ノイズといえばルイジ・ルッソロ
  • “沈黙といえばケージ『4'33"』” 並みに、

“間違っててなおかつ古い”。「音響的即興」「“ONKYO”以降の“音楽”」のリファレンスに大友発言だけが(または大友発言がメインに)参照されることには弊害がある。それは大友氏のせいではない。それはもう刷新されなければならないのは確かだと思う。


そしてそれを刷新するのは、俺を含めて、いわゆる“音響的即興”について発言している/したことのある人間、およびこれを読んでるアナタのやることではないだろうか。吉村氏の最後の一文に、俺は深く同意する。

このことに対して、聴き手はより一層、注意深くなる必要があるのではないだろうか。