吉田アミ『サマースプリング』出版記念ライブ&トーク
id:amiyoshida 姐さんはもう「飽きた」とか書いてるが、こないだ(7/7@アップリンク・ファクトリー)のイベントが面白かったので、メモ&記憶を辿って記録に残しておく。
吉田ソロ
まず、久々に聴いたハウリング・ヴォイスが凄く良かった。あのような喉と身体に負荷を課すパフォーマンスだから、恐らくその時の体調に大きく左右されるのだと拝察するが、この日は良かった。トーク前ということもあり(喉つぶすわけにはいかなかっただろうからな)時間短めだったのが吉と出たか。超音波みたいな高音まで良く出ていたと思う。
トーク
鼎談内容はこんな感じ。ちょっとウロ覚えだが:
- 1989頃、何をしてたか
- タナカ:漫画家として上京する日に手塚治虫が死去
- 佐々木:六本木WAVE勤務中
- 吉田:雑誌「宝島」への思いいれ「私は宝島で人生間違えた」
- 当時の「宝島」の紙面を映しつつひとしきり「宝島」語り
- 当時の名古屋/東京の文化格差
- 影響受けた暗い児童文学(作者氏名失念)
- タナカの「ゴメス」「バカドリル」が好きだった:後から知った京都時代の“叙情漫画”との落差に驚き
ちなみに、80年代末〜90年代初頭に流行ってたSF的イメージ、「廃墟に散らばるテレビモニタのモチーフ」の元ネタは、恐らく「マックス・ヘッドルーム」ですよ、アミさん。もういまや忘れられてる作品だけど、当時、あのドラマの影響力は今の「マトリックス」ぐらい大きかったと思う。
- 出版社/メーカー: トランスフォーマー
- 発売日: 2006/11/25
- メディア: DVD
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- 吉田個人史
- 不思議ちゃんだった
- 東京通い、ライブ通いの日々
- 佐々木「文化系女子と不思議ちゃんは違う。文科系女子は同じ大友良英つながりでもカヒミ・カリイの方向には行かない」
- 吉田「渋谷系は“いかにも”なのでキライだった。私はどんどん“外していきたい”ほうだから」
- →90年代にP-MODEL等、80年代ものにハマる
- →「パリペキン」の思い出
- ネット以前の時代:同じタイプの子とつながることの困難・飢餓感
- 雑誌の通信らん、ペンフレンド
- 「地元に友達がいれば東京に出てこなかったかも」
- 佐々木の吉田評:飢餓感、乾き、「こんなもんじゃない・マダマダ感」が強烈
- 吉田:アルス・エレクトロニカで受賞→危機感感じてブログ開始
- 「注目浴びて評価が固まるとイヤ」
- 「常に新しいことを試していたい」
ちなみに今年のアルス・エレクトロニカ受賞者はこんな感じ:
http://media-arts.cocolog-nifty.com/festival2006/2007/07/ars_electronica_4aa8.html
三輪さん・渋谷さん、おめでとうございます。
- 書籍化のきっかけといきさつ
- 吉田とタナカとの仕事
- 初めは「クライアント」として:吉田の会社の仕事でのつきあい
- 表紙イラストについて:タナカ「駄目出しがキビシイんですわ」
- 佐々木:女性作家と自分史・自分語りについて
- 吉田:本としては読みやすくしたかった
- 児童文学ぽく、アクセスしやすい工夫や構成
- 今の時代を生きづらい子に差し出したい
こんな感じだったかな。俺も、物凄くヘヴィーな内容なのにスラスラと読めてしまって、その余りのスムーズさに「あれ、俺もしかして斜め読みしちゃった?もしかして作者に凄い失礼?」とか思ったんだが、「新書並みにスラスラ読めるようにしたい」(吉田)という編集意図があったわけだ。ちょっと安心。
鼎談は、必殺まとめ人の佐々木氏と、タナカ氏の絶妙なボケのコンビネーションがよかった。特にタナカ氏のツボを押えたボケ/ツッコミが素晴らしい。
吉田「不思議ちゃん系だったんですよ」
タナカ「ベレー帽被っとったやろ」(場内・笑)
(編集の郡氏について)
吉田「けっこう駄目出しキツいんですよ」
タナカ「んで僕が一番“下請け”というわけでね、皺寄せが」
吉田「一人の編集者の人生がかかってますんで、ぜひとも売れて欲しいと」
タナカ「逆に、売れへんほうがオモロいかも知れんな」
吉田「いやそれは(笑)」
タナカ「ライブのMCのネタ増えるやん」
これが連邦のモビルスーツ京都のボケのクオリティか。