幽閉者


東京の公開最終日に滑り込みで観てきた。いちおうレビューしておく。


幽閉者 足立正生監督作品 公式HP
http://www.prisoner-m.com/index.html


なお最初に申し上げておくと俺はこの映画、まったく評価できない。レビューとしてはそういう観点にたっていることをあらかじめご了承願います。


まず、この映画の演出の骨子になっているのは下記の2点である。

観客がこの映画のテーマや主張に肉薄するには、この2つの「かなり高いハードル」をクリアする(か、見なかったことにする)必要がある。


そして、この越える(か、飛ばずにスルーする)べきハードルは、下記のような人以外には、あまりにも過酷な試練なのではないかと俺には思われた。

  • かつてのシンパや支持者の人
  • 若松プロ映画マンセー」のアングラ映画ファン*1
  • 「シネフィルとしては良かれ悪しかれ観ておく義務がある」という映画マニアか職業批評家
  • 自分が生まれる前の「新宿アングラ文化」に興味・憧れを抱いてるアート系学生さん


ちなみに文士劇とは、もう死語になってしまったが、プロの役者でない作家・戯曲家・文人墨客・画家・批評家などが余興に演じる素人芝居のことだ。
ttp://www.odette.or.jp/kankou/bu_c_en_bu_i/bu_c_en_bu_i.html

田口トモロヲによるくどいアングラ芝居

この映画での田口を観ていて俺が思い出したのは、昭和の時代、高田馬場や下北沢の小さな芝居小屋とか移転前のキッド・アイラック・アート・ホール*2で掛かっていた学生演劇だった。


先輩が脚本書いたとか友達の友達が出てる or 演出 or 裏方してるので付き合いで観に行くと、いたたまれない・逃げ出したい気分の中、2時間拘束されて、帰りの電車で友達と気まずく口数少ない、みたいな体験を思い出した(涙)。


ブログを巡回してみると、田口の演技に「渾身」「迫真」「鬼気迫る」とかいう形容が並べられている。本当だろうか。いや違うだろう。


田口トモロヲ、アングラ魂に火がついたのか、もう張り切っちゃってるのである。ハッスルしちゃってるのである。テレビの「世界まる見え! テレビ特捜部」のナレーション風に言えば、「それにしてもこの男、ノリノリである」って印象。


だって、“絶望の果てにひたすら死を願い、狂気に落ちていく男”を演じながら、目が輝いちゃってるんだもの。キラキラしちゃってるの、足立監督のもと演じられる喜びに。


この演技を形容するとしたら「伸び伸びと・イキイキと演じてる」とか「溌剌とした演技」とか「演じるのが楽しくてしかたがない様子」というのがふさわしい。それって、どうなのよ。後半になると、髭も伸びてまるで「ハイテンションな松本智津夫」みたいな雰囲気に....。

監督の知人・友人によるグダグダの“文士劇

もうひとつのハードルが、主演の田口以外の出演者のキャスティングと演技である。


インディペンデント系の映画って予算が無いから、よく監督の映画仲間や知人・友人が「友情出演」と称して出ていることが多い。ほらあるでしょ、林海象の映画やドラマに誰それが出ているとか岩井俊二の映画に誰それが出ているとか。


この映画もご多分にもれず、四方田犬彦若松孝二、流山寺祥、赤瀬川源平平岡正明松田政男といった監督の知人・友人・“同志”が大勢、脇役やカメオで出演しているらしい。「らしい」というのは、俺、名前だけ知ってて顔を知らない人とか、昔の顔写真しか知らない人が多いし、「幽閉者」の本も買っていないからだ。

http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=67

友情出演の錚々たるメンバーが、復活した足立正生への賛辞を込めて駆け付けた。時代を越え、ジャンルを超えたエネルギッシュな多くの芸術家、役者たちは、足立正生という舞台の上でいかなる個性を発揮するのか?


まぁそりゃ、ある種の人々にとっちゃあ「錚々たるメンバー」かもしれないけどさぁ...。全く思い入れのない観客にしてみればどうよ。


この映画は、いわゆる劇映画として観ない方がよく、むしろ上記のように高田馬場や下北沢の小さな小屋でかかってる観念的な演劇をビデオ撮りした作品と捉えたほうがよいと思うのだが、その友情出演の人々を見ると、テレビ漬けの現代っ子(死語)にはダウンタウンナインティナイン、古くは「俺たちひょうきん族」のコントにしか見えないのではないか?


どうみてもヤクザにしか見えないスキンヘッドの大男(流山寺祥)と髪をキンパツに染めた目つきの悪い男(アナーキーの仲野茂)がイスラエル(?)の兵士役で、カタカナ丸出しのジャパニーズ・イングリッシュで罵倒するとか、「私は13ヶ国語が出来るのだよ」と言う怪しげな教誨師が「不信心者!お前は悪魔だ!豚だ!神のもとに悔い改めよ!」と叫びながら聖書で田口トモロヲの頭をパッコンパッコン叩いたりするのである。これがコントでなくてなんでしょうか。


だんだん、若松プロ関係者の映画というよりはむしろ、吉田戦車うすた京介漫☆画太郎とかのマンガを映画化したのを観ているような気分になってくる。


そのほかにも例えば...。


狂気に陥った主人公“M”の幻想シーン。フランスの思想家役で登場するPANTA。開口一番、

ボンジュール!

(;´д`) PANTAさん...。

(田口、まさか貴方は!という視線でPANTAを見つめる)
PANTA「そう、僕はキミが思っている通りの人間だ!いや彼の思想のエッセンスといったほうがいい!」

(;´д`) PANTAさん...。


そうかと思えば突然、ジミヘンのアメリカ国家ばりの轟音ギターで奏でられる「インターナショナル」の「い〜ざ戦かわんい〜ざ、奮い立て〜いざ〜」のメロディ!そして壁にかけられたソヴィエトの赤旗をバリッと剥ぎ取り、クルクルと丸めて首に巻いてマフラーにしてポーズを決める大久保鷹思わず爆笑!


...だが会場を見回すと...


(´д`;三;´д`)え?ここ、笑うとこじゃないんですか....?


続いてマトリックスばりのCGを駆使した電脳アーカイヴでひたすら過去の思想の研究に没頭する哲学者役の梶原譲二

田口「全ては空である、その思想は日本の般若心経と同じだと思うのです」
梶原「般若心経?聞いたことがある。調べてみよう」


梶原が手をかざすと古今東西思想書のページが3Dでバビューン!と飛び交い、般若心経の紙面が空間に!もう、失笑!


...だが会場を見回すと...


(´д`;三;´д`)え?ここ、笑うとこじゃないんですか....?


詰め襟少年&お下げ髪少女キターーーーー!

映画後半、変調をきたした“M”の精神は少年時代の記憶に遡行していく。

少年時代の記憶、「お前は、なにひとつうまくできない。世界に、お前の居場所はない」。なにひとつうまくできなかった。いつも全部台無しにした。幼い頃、厳格な父の目の前でも、愛した少女の前でさえも、なにもできなかった。


うわ、キターーーー!アングラのイコン、詰め襟少年&お下げ髪少女寺山修司→ガロ→丸尾末広→東京グランギニョルと続く日本アングラ表現のお約束!古くせーーーー!拷問シーンの汚物や糞尿よりも、このシーンに鼻を突く腐臭を嗅いだのは俺だけ?


....さて。


こうして、この映画は、田口トモロヲのハイテンション演技→お友達の友情出演→詰め襟少年&お下げ髪少女→田口トモロヲのハイテンション演技→....という悪夢のスパイラルがいつ果てることなく続く、というシロモノになっているのである。まさに拷問


(3/16追記)からかってばかりだとなんなので、ちょっとマジレスを追記してみる。

リンゴのモチーフについて

この映画では“リンゴの花と実”をめぐる記憶が主人公“M”を支える重要なモチーフになっている。ここではリンゴはエロス――性的な意味も含んだうえでの“生の手ごたえ”とでも言うべきもの――とリビドーの暗喩である。軍事キャンプに咲き乱れるリンゴの花の下での同志との絆と別れ、リンゴの実の香りに導かれる少年時代の甘い思い出....。


だが。


ここで俺が思い出してしまうのは、連合赤軍事件だ。


連合赤軍、特に森恒夫という人物は、自分たちの思想・闘争に「エロスやリビドー的なもの」が入り込んでくるのを極端に嫌悪するタイプの人間だったことが、事件後生き残ったメンバーの供述や発表した書籍から窺い知れる。その嫌悪の激烈さは、まるで“呪詛”とでも形容できるものだ(詳細はググるか関連書籍読め)。


そして、彼らが事件を起こした群馬県と長野県がリンゴの名産地であるというのは、なんか空恐ろしい偶然のように思われる。


異国の地で幽閉され死と狂気の淵に追い込まれる“M≒岡本公三足立正生”が、リンゴのイメージを依り代として生を支えていた同時期に、この国で自ら閉塞していった者達は、群馬の山奥でリンゴの樹から花や果実を徹底的に叩き落して踏み潰すようなことをしていたのだ。


足立監督は、それをどう“総括”するつもりなのだろう。いや今さら自己批判しろ(笑)とか言ってるわけじゃなく、作品としてどう表現していくおつもりなのだろうか。もしかして今構想されている『十三月』がそういう作品になるのだろうか。俺もう観に行かないけどな。


いっぽう、足立監督の“同志”である若松孝ニ監督がいま連合赤軍の映画を撮っているのが....けっこう気になる。
http://wakamatsukoji.org/
http://www.wakamatsukoji.org/blog/


いや、気になるというのは「今から楽しみ」とか「公開が待ちきれない!」とかいう意味ではない。むしろその逆である。なんかイヤな予感がする。


上記のサイトを見てみると、むやみと勇ましいコトバが並んでいるのが、どうも気になる。その一種空疎な勇ましさは、石原シンタローのトッコー隊映画とどこが(以下自粛)

*1:書籍の目次を見ると、宮台真司が対談したりしてる。この映画観て「頭を抱え」なかったのだろうか。塩見孝也ロフトプラスワンで対談して頭を抱えたとか書いてんのに。...と思ったら、けっこう「頭を抱えた」らしいことが判明(笑)。本の校了に間に合わなかったらしい:「足立正生監督『幽閉者』を巡り、メイキング・ムービーを作った土屋豊監督と対談しました」MIYADAI.com Blog(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=445)う〜む、愛ある批判だなぁ。

*2:昔は甲州街道沿い、歩道橋の陰にあった。いまある場所は雀荘だったはず。そういえば雀荘って、学生街からすっかり消えたねぇ...。