2/3 吉村光弘CD発売記念ライヴ@GRID 605


いや〜、もう2週間も経ってるのに何やってんだという気もするが。えーと、ずっと草稿を打っては消し打っては消ししてたんですよ(汗)


ということで、2月3日のGRIDでの吉村氏のレコ発(今でもこういう言い方するの?)に行ってきた。


吉村光弘 CD「and so on」発売記念ライヴ - GRID 605
http://d.hatena.ne.jp/GRID605/20070203

(h)ear rings - 吉村氏のサイト
http://www16.ocn.ne.jp/~hearring/
杉本拓氏や大谷能生氏によるライナーノーツも読める:
http://www16.ocn.ne.jp/~hearring/info.html


寡黙で繊細な音盤たち -【新譜紹介】”and so on” Mitsuhiro Yoshimura - 角田俊也氏によるレビュー
http://d.hatena.ne.jp/omay_yad/20070121


アルバムはImprovised Music from Japan、円盤、ontonson 等で通販可能(他にもあったらゴメン)。
http://www.japanimprov.com/cdshop/goods/hearrings/hr-01.html
http://www.ontonson.com/scb/shop/shop.cgi?No=1296
http://www.enban.org/shop/cart_pro.cgi?page_id=1&disp=on&gid=HR1cd


ちなみに俺、アルバムに収録の3トラックのうち2つは、その場に立ち会ってる:
2005/07/09:Not Necessarily "Japanese Music"@Loop-Line
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20050709/p1

ヘッドホンを手元でちょっと動かすと音が驚くほど変化する。一瞬、テープの逆回転音みたいなノイズが入ってその後トーンが変わるの。インプロの“演奏”と音響の“生成”の、ちょうど中間に位置するパフォーマンス。

2005/08/07:モネノヒビキ@高円寺百音
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20050817/p1

操作はするがコントロールはしない(できない)”というのが面白いし、実はそれはいわゆる即興演奏の本質に迫ることかも、と思ったりして。“普通の楽器”の即興演奏でも、演奏の最中はやっぱり“操作はするがコントロールはしない(できない)”ものなんじゃないのかな。出音にも魅力があるし(聴いてて気持ちがいい)。

なんだよ。けっこう良い事言ってんじゃん。GJ>俺。


福岡での2トラック目収録の様子はこちら。

2006/09/22:山内桂 presents 「東京最前線」in Fukuoka
http://www.as-tetra.info/data/2006/09/_presents_in_fukuoka.html
(↑写真では吉村氏は左端に隠れてしまってるっぽい)
こんな感じでした2 - mellowsounds blog
http://marrk.exblog.jp/m2006-09-01/#5779941

しかし、この吉村さんの演奏は、非常に洗練されていました。頭の中を削るような高周波な微音。それが、どういうことだか空間をうねる。もう目で見えそうなくらいのはっきりとした体裁をとったピリピリとした音波(そう、正に音波だ!)が、現れるのです。その動きは、余りにも目前で、或いは頭の中で起こるため、いつの間にか方向感覚のようなものが失われてしまいそうでした。

おぉ、素晴らしいレビューじゃないですか。


3/25追記吉村氏からメールで、訂正と補足をいただいたので加筆。以下青字の部分が吉村氏のメールからの引用である。感謝します。どうもありがとう。

これは熊本での演奏ですね。
内容は東京最前線ツアーの中でも出色の演奏だったのですが、録音されていませ
んでした・・・。CDに収録することが出来ず、本当に残念です。
ちなみに、この日の山内さんの演奏はとても素晴らしかったです。
(吉村)


さて。この日、杉本氏は珍しくソリッドボディのギター、フェルナンデス製のストラトキャスターと、あとE-Bow(http://www.ebow.com/index.html)を使用。吉村氏はいつものRODE(RØDE)のステレオマイクNT4(http://www.rodemic.com/?pagename=Products&product=NT4)と、プリアンプ、ヘッドフォン。

  1. 吉村ソロ1
  2. 吉村ソロ2
  3. 吉村ソロ3
  4. 吉村・杉本デュオ

吉村氏の1セット目は、ヘッドフォンを持たずに床に置いて、そのままフィードバックの発生に任せる、という「演奏」。吉村氏はその間椅子にかけて身じろぎもせず。


何もしていないのにヘッドフォンから出てくる音は刻一刻と変化していく。静かなサイン波風の音から、キーーーンというハウリング音に、続いて耳の奥の耳鳴りのような高周波へ、そして夏のセミ時雨のような音へ。途中パチパチと線香花火がはぜるような音と共に音色が変わる。


途中一度、吉村氏が「電車で寝てて、突然身体がビクっと動く」みたいに(笑)身体を動かしたら、フィードバック音が変わったのには笑った。ホントに一瞬居眠りしてたか、本当に身体が動いたせいで音が変わったのかは、謎。
10分くらいして、床のヘッドフォンをパッと取り上げて1セット目は終了。

これは実は意図的にやりました。
なので、居眠りしていたわけではないです!
このタイミングでこうゆう風に動いたら、こうゆう風に音が変化するかなと思っ
て動いたら、まんまとその通りに音が変化して、面白かったです。
(吉村)

あわわ、そ、それは失礼しました(汗)


2セット目は、今度はヘッドフォンを手に持って音を出す。出てくる音は1セット目とほぼ同様なのだが、手で持ってる分、若干変化が多かったような気もする。気のせいかも知れないが。


というか、ヘッドフォンを手で持ってようが床に置いてようが、あまり変わりは無い。なぜなら、決して吉村氏が「出音をコントロールしてる」わけではない、つまりヘッドフォンのイヤーピースを動かしたからといって、何か事前に音の変化を意図したり予測したり出来るわけではないからだ。1セットと同じく10分くらい(聴いてるときは時間の経過を忘れてしまうので、終わってから部屋に掛かってる時計で確認した)で今度はマイクにつかつかと歩み寄ってスイッチをオフにして、終了。

このセットはヘッドフォンを閉じて演奏を終了しています。
マイクのスイッチを切って演奏を終了したのは、杉本さんとのデュオの時です
ね。
(吉村)


さて、吉村氏は「もう1セットやります」と言って、おもむろに立ち上がって背後のドアを開け、屋外の音が聴こえるようにした。続いて床にヘッドフォンを置いて音を出し始め、ドアの側にじっとたたずんで、街の喧騒とフィードバック音の両方に耳を傾ける。ドアをあけたせいか、フィードバックの音量は1・2セットほど上がらない。


屋外の冷気が流れ込み、足元から冷えが登ってくる。フィードバック音に、吉祥寺の街の音――自動車の走行音、バイクの空吹かしの音、狭い駅前通りを無理にバスが入って来る音etc――がミュージック・コンクレートのようにミックスされて美しい。しばらくして吉村氏がドアをバタンと閉めて、あとはフィードバック音のみに.....。


そして。


突然の拍手の音。


なんと、この3セット目は、吉村氏は実はフィードバックを発生させておらず、こっそり足元のデジタルレコーダーで録音していた1セット目の音を再生していただけだったのだ!やられた!ドアを開けたのは、観客の目(と耳)を屋外の音に向けて、フィードバック音が実は録音の再生であることから意識を逸らせるトリックだったのである!手品でよくあるテクニックだ。TVの「世界まる見え」でいうところの「さて、ここでネタばらし」。

このときの「演奏」の「録音」の「再生」は、1セット目ではなく、2セット目の「録音」の「再生」による「演奏」です。(吉村)


俺たち観客は、録音されたものをてっきり吉村氏の「ライヴ」の「演奏(?)」だと思って「あ〜、やっぱり外部の音が入ると違うのね」なんて思いながら聴いていたのである。自分たちの拍手が聴こえるまで、録音とは全く気が付かなかったのだ。


く〜。なんか悔しい。さっきまで聴きながらあれやこれやと考えてた俺は何なんだ。いつもはポーカーフェイスの吉村氏が一瞬「してやったり」という表情をしていたように見えたのは俺だけ?まるで「Death Note」での勝利を確証した夜神月のように。


それと、「してやったりという表情をしていたように見えた」のは多分気のせいです!
むしろ、すいません、という照れ隠しの表情です!
(吉村)

それは失礼しました(笑)。けっこう気付かなかったお客さん多かったと思うんですよ。終演後「気付かなかった」という感想が複数あったし。


さて、休憩を挟んで杉本氏とのデュオ。吉村氏の「演奏」は前半と同様。今度はちゃんと(?)音出していた(笑)。


杉本氏は“普通に”ギターを弾くことはなく、一貫してE-Bowをゆっくりと弦の上に滑らせながら長い間をおいて断続的に「フイ〜〜ン」という持続音を出していた。音色は高音中心の、笙の音とか、蚊が耳元にプイ〜ンと飛んで来たような(笑)音。


面白かったのは、E-Bowをゆっくり動かしてストラトの3つのPUの間を移動させながら、途中でPUを切り替えると、ちょうどTVでカメラが切り替わったときのようになるのである。つまり例えばフロントPUからミドルPUに向けてE-Bowを動かしているとき、E-BowはPUの真上にあるとき音量が一番大きくなるので、フロントPUから遠ざかっていく音になる。ここでPUセレクターをミドルに切り替えると、今度は音がミドルPUに近づいてくる音に切り替わるのである。


吉村氏のマイクが杉本氏のギターの音を拾っているのかどうかはフィードバックの音からは判断できなかったが、後半、杉本氏が中音域でヴィオラのようなロングトーンを出しているときには、フィードバック音がトレモロのようなパルスに変化したのは明らかにギターの音を拾ったからのように思われた。確証はないけど。約20分くらいで終了。


それにしても、この日は3セット目のインパクトというかショックが尾を引いた(汗)。終演後、杉本氏に「今日は(吉村氏に)やられましたよ」とボヤいたら「いや、そういうのもアリなんじゃないですか(笑)」と返されてしまったのであった。


この3セット目の「演奏(?)」は、吉村氏や杉本氏がフリーペーパー「三太」でまさに繰り広げている論考を実際のライヴの現場で実践してみた結果であるといえる。音楽は、何をもってして音楽たり得ているのか?もし○○したらそれは音楽ではなくなるのか?観客がそれを音楽だと思えば音楽なのか?いわゆるライヴにありがちな「前提」や「お約束」をどこまで崩すと「それは音楽ではない」になるのか?


「三太」同人各位の活動を追うからには、聴衆である俺らも、そこらへんに踏み込んで考えなければならないはずなのだ。単なる「ヘンテコ音楽大集合」ではなく。それについては、また稿を改めて考察する予定。「吉村光弘試論」として。さてどこまで出来るか俺。