1/28 赤坂ノミド音楽会@橋の下
ということで、久米貴氏の主宰するライブに行ってきた。
■ ビジョン水泳部バンド
エーと、MCによると、水泳サークル(?)のメンバーによるバンドらしい。どこまでマジでどこまでシャレなのか分からない、人を食った佇まいのバンド。G, B, Dr, Keyに男女のツインヴォーカル。多分、一部のメンバーは小劇場系演劇の役者さんや関係者とみた。
曲はオリジナル数曲とオザケンの何か(曲名失念)、あとヴォーカルの青年が倒れちゃってとかいう半分MC半分寸劇というかコントみたいなのがあって(サムいというかイタタというか、正直ちょっとどうしようかと思ってしまいました)ヴォーカルが久米氏に交代、「ビジョン水泳部」というテーマ曲を歌って、終演。
80年代に吉祥寺や下北沢のあたりにいた和製ニューウェーヴ・バンドの香りを色濃く残すような。ピアニカが入ったり、リズムがスカの曲があったりすると特にそんな雰囲気。若者の間でその手のバンド、逆に今、増えてるのかな。80年代カルチャーって既に回顧モードやレトロ趣味の対象だったりするもんな。
- ニコの曲(曲名不詳)
- ある日(One Day)(寺山修司)
- インプロヴィゼーション1
- インプロヴィゼーション2
ニコの曲では、マレットによる民族楽器の太鼓のような音のドラミングと入間川氏のチェロによる中音域中心のオブリガードをバックにひろた女史が歌う。音色とフレージングから、胡弓のような音色に聴こえる。ニコの曲だから二胡?....すいません....。
寺山修司の曲は、こんな歌詞:
母のない子に 本がある
本のない子に 海がある
海のない子に 旅がある
旅のない子に 恋がある
恋のない子に 何がある?ひまわり咲いて
日は暮れて恋のない子に 何がある?
インプロ1:
インプロ2:
- ひろた:歌曲のような朗唱→徐々にうわ言のような現代詩のようなシュールなヴォーカリゼーションに
- 原田:再び鈴を沢山鳴らして音を満たす
- 入間川:ダークで不穏な雰囲気のチェロ
- 原田:ヘヴィーでスロウな8ビート
- 入間川+原田:プログレかジャズ・ロックのようなハードなインプロの応酬になって、幕
だいたいこんな展開だったような。
んー、まだ1回目ということで、顔合わせセッション的な印象は否めなかったが、これから「バンド」としてどういう展開になっていくのかは今後に期待。既成曲のカバー+インプロ、という取り合わせになるのかな?
ひろた氏の、演劇や正規の声楽の訓練を受けたアルトは、メレディス・モンクとか、スージー&ザ・バンシーズのスージー・スーを彷彿させる。そこらへんを聞いてみたい気もする。メレディス・モンクだったら「Gotham Lullaby(アルバム "DOLMEN MUSIC" 所収)」とかバンシーズだったら「Icon」とか「Mother」(いずれもアルバム "Join Hands" 所収)なんかどうだろうか。
■ 赤茄子短歌会
- 柴田瞳:短歌
- 増尾ラブリー(久米貴):短歌
柴田女史は歌人で短歌誌「かばん」の編集長さんとのこと。「赤茄子短歌会」というのは、久米氏が某SNSで柴田さんとやってる「相聞歌」を交わすというコミュの名である。
まずは柴田さんの短歌8首。印象に残ったのは:
もう2箇所刺されてるんだ 夏なんだ 手帳の隅を意味なく千切って
続いて、二人で交互に歌を詠む相聞歌になったのだが....これは....できねぇ、載せられねぇ。すいません、内容がエロ過ぎて転載できません。
元々、相聞歌とか、あと歌垣というものは性的な内容を多分に含むものなのだが:
Excite辞書:国語辞典
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/
そうもん さう― 【相聞】
(1)手紙などで互いに相手の様子を尋ねあうこと。
(2)万葉集の和歌の部立ての一。恋慕や親愛の情を述べた歌。あいぎこえ。うたがき 【歌垣】
(1)古代の習俗。男女が山や海辺に集まって歌舞飲食し、豊作を予祝し、また祝う行事。多く春と秋に行われた。自由な性的交わりの許される場でもあり、古代における求婚の一方式でもあった。人の性行為が植物にも生命力を与えると信じられていたと思われる。のち、農耕を離れて市でも行われるようになった。かがい。
林あまりとか最近の俵万智みたいな“セックスのことも奔放に歌にしちゃうブンガク少女”みたいなの(マンガでいうと岡崎京子とか内田春菊とか)じゃなく、もっとモロにベタな“エロ短歌”(ちなみに褒め言葉ですよ)である。
さて、増尾氏のエロ短歌攻撃にこれまたエロい返歌で対抗する柴田さんだったが...
増尾 「“のだめ”らはパリの灯の下 いつもより燃えておるらむ ならば我らも」
柴田 「...(笑)...ダメだ...」
という所で場内爆笑。そんなこんなで約50首。
内容について知りたい人は某SNSで検索して見つけてください。
■ KOOMOON
- 久米貴vo・g
- 吉田茂生g
- 平魚泳per
- 22個の瞳
- トロール
- MEXODUS
- 愛は無添加
- 普通の歌
- こんばんわベイベー
- 市民プール
- ネクター
- ニュー十国峠(ゲストVo:ひのあやこ)
- 図書館日和
- Overthere
- 愛が欲しかっただけ
- 本日のラクダ
- (アンコール)オムソバ
久米 貴 - 音楽配信サイト「mF247」
http://www.mf247.jp/view/index.php?module=artist&refno=49225&g=12
http://www.mf247.jp/view/index.php?module=msc&msc_id=0049225003&g=12
今回、久米氏からアルバム「GOOMOAN」を購入したり過去音源を譲っていただいたりして暫く聴き込んでみた。
久米氏の曲は、
- 叙情的な美しいメロディ
- 現代詩的・哲学的な面と、生活感・ペーソス溢れる面が相半ばする歌詞
- 時折りジャズ・ロック風になったりMPB(Musica Popular Brasileira)みたいになったりするけっこう凝ったコード進行
といったもので、ミスチル、スピッツ、オザケンあたりと通底する屈折ポップスという印象を受ける。
ピクニック
明日いちばんのバスで
ピクニックに行こう
知らず知らず心は夢に喰われてる
パラノイアのアヒルにサヨナラするなら
今しかないんだよ
.
(ピクニック)グラスの外の
(ピクニック)広い宇宙に
あふれだそうよ(ピクニックに行こう)
オムソバ
天才になってね
有名になってね
人間の空に鳥が咲く
平均に干した靴下やパンツが
たて笛の風に回りだす
.
(もし君がいなければアタシ
死んじゃうかもね
でも もし君がいなければ
もっとはばたけただろう)
.
オムソバ、オムソバを作って待っているわ
だが、その上に乗る久米氏のヴォーカルが強烈にクセというかアクが強いもので、それが独特の個性になっている。
例えばサビのメロディで、草野マサムネや桜井和寿だったら高音でヴィブラートかけずにまっすぐに伸ばして歌うところを、浪曲とか沖縄の島歌とかインドネシアのダンドゥットみたいにコブシを回して歌うの。
また、歌詞の対象年齢は、スピッツやミスチルのリスナーの平均年齢よりも10〜15歳高いのではないかと思われる(笑)。対象年齢30歳以上みたいな(失礼!)。
だから、これはこれで、オトナの音楽である(笑)。
ここでいう「オトナ」とは、雑誌「LEON」とか「BRIO」なんかが煽るような「オトナの男」(そういや「チョイ悪」って、もう死語になったよね?)という意味での「オトナ」ではない。歌詞に出てくる主人公も、結婚しても元の女と付き合いたいとか、不倫相手が家族旅行に行くのをなすすべもなく見送るとか、フィリピンに買春に行ってヤクザに騙されるとか、「ちょっとそれは人としてどうよ」というようなダメ人間揃い。「チョイ悪」ではなく「かなり駄目」。
そんな久米氏の音楽と歌は:
- 早川義夫が50過ぎてヘロヘロになっても歌わずにいられない とか
- 高橋源一郎が小説の中で強迫的にオドケずにいられない とか
- 同じ短歌の同人である穂村弘が短歌や著書の中でグチョグチョの自意識過剰を吐露せずにはいられない とか
そういう感覚に通底するものだ。
彼らの表現に共通するのは、「のっぴきならない衝動」とでもいうべきものだ。
どうしようもない、でも今コレを歌ったり文章にしちゃったりしないと駄目、みたいな。10代20代の若者がそのような衝動に駆られるのは、セイシュン時代としてある意味当然のことだ。だが、40過ぎてヘロヘロでダメダメでも、それを表現せずにいられない「業」というものの方が、「深い」といえるのである。
そういう意味で俺はこの音楽を「オトナの音楽」と呼ぶのである。オンナコドモには分かるまい。あ、すいません差別発言で(最近女性に対する発言については世間様が色々とウルサイのでとりあえず謝っとく)。
でもね、こういう歌や上記の作家の著作の主人公に惚れるタイプの女の人って、幸せな恋愛や結婚できないと思うぞ(笑)。