ATLAS(ボセッティ&チェン)+山内桂@Barber富士

ということで、12/11に上尾バーバー富士に、ボセッティ&チェンのデュオ・ユニットであるATLAS(アトラス)と山内桂氏の演奏を聴きに行ってきた。


この日はバーバー富士のオーナーの松本氏の発案で、それぞれのソロ、デュオ、トリオという構成になった。これが結果的に非常に興味深い演奏になった。



【前半】

  1. ソロ:山内(ソプラニーノサックス)「筑紫」
  2. ソロ:チェン(チェロ+ノイズマシン)
  3. ソロ:ボセッティ(マウスピースなしソプラノサックス)
  4. デュオ:チェン(チェロ)山内(アルトサックス) 
  5. デュオ:ボセッティ(マウスピース付ソプラノサックス)チェン(チェロ+ノイズマシン+調律笛)
  6. デュオ:山内(アルトサックス)ボセッティ(マウスピース付ソプラノサックス)デュオ

【後半】

  1. トリオ:山内(アルトサックス)ボセッティ(マウスピース付ソプラノサックス)チェン(チェロ)
  2. アンコール:トリオ

山内氏のソロは自作曲「筑紫」。この曲は息音や特殊奏法は使用せずに、普通(?)のサックス奏法による演奏で、技巧に走らずシンプルなフレーズを大きく取った曲である。張りのある艶やかな音色が美しい。(参考:http://www.web-cri.com/review/0605_katsura-solo_v02.htm


チェン女史のソロは、前の日も使用していた自作ノイズマシンを、けたたましい鳥の囀りのようなトレモロ音が断続的に響くセッティングにしておいて、チェロとヴォイスを奏でる、という演奏。チェロは、緩めたC線を弾きながら、ペグ(糸巻き)をグイグイと緩んだり締めたりしながらトレモロさせたりする。「あぁ、楽器が傷みそう....」とヒヤヒヤする。現代音楽調の不協和音を多用したアルコ中心の演奏に、絶叫から消え入りそうな囁きまで、大きなダイナミックレンジを持ったヴォイスのパフォーマンス。少女時代にオペラ歌手の勉強をしていたとのことで、その発声には正規の訓練を受けた人ならではの確かなテクニックがある。それにしてもホワイトノイズを思わせるスクリーミングは凄い。


ボセッティ氏はこの日はラップトップやマイク類を使わず、ソプラノサックスだけのパフォーマンス。ソロ演奏は、マウスピースを外したソプラノで息音だけの演奏だけで通した。POTLACHレーベルやミシェル・ドネダとの自主制作盤での演奏に一番近いスタイルを聴かせた。


そして、この日の白眉は、山内+チェン、山内+ボセッティのそれぞれのデュオだった。


ガシガシギコギコとチェロを切り刻むように弾くチェン女史と、沸騰したヤカンのような、または尺八のムラ息やカザ息を思わせる激しいホワイトノイズ的な息音を放つボセッティ氏に対して、山内氏はどちらにも終始一貫して、アルトに静かに息を吹き込んで管体を「フワリ」と鳴らす奏法で対峙した。なんとも説明が難しいのだが(山内氏の演奏を聴いたことのある人にはすぐ分かると思うが)サックスに長く息を吹き込んでいって、吐き切るときにサックスの管体が「ホワン」とか「フワッ」とか鳴るのである。


山内氏はデュオの間ずっと、この音だけを鳴らし続けていった。演奏が進むにつれ、チェン/ボセッティ両名とも徐々に音量が落ちていき、猛々しい咆哮のような音から軽やかで穏やかな即興演奏に移行し、全体の音量は、ソロ演奏のときよりも小さくなっていった。


だが、そこで繰り広げられている演奏の、音楽的な豊かさはどうだ。音量そのものは下がったが、演奏のダイナミックレンジはずっと広い。微音から大音量に至る音のグラデーションがよりはっきり分かるし、特殊奏法の駆使やエキセントリックなパフォーマンスといった「ケレン味」的な要素が排された分、チェン/ボセッティ両名ともに、本来の持ち味が良く出た演奏になった。これは、チェン/ボセッティ両名の演奏が、山内氏に“引っ張られた”結果である。できねー。これはできねー。フリー系のライヴで、音量のデカいほうが小さいほうに引っ張られるのなんて初めて観た(聴いた)。中々できるもんじゃないよ。


俺も、過去、けっこうな数のジャズ/フリージャズ/インプロのミュージシャンの来日公演を聴いてきたが、日本のミュージシャンが音のデカい外人と共演したときに、引っ張られて振り回されるような感じになっちゃって、その人本来の持ち味が発揮できないようなのを随分観てきた。「やっぱ日本人は外タレに弱ぇよな」なんて思ったりしたことも二度三度ではない。


今回、最も感動したのは、山内氏の表現の“ブレの無さ”である。山内氏はこの日のライヴのどの演奏でも、終始一貫して「いつもの山内さん」だった。ライヴに接したことのある人や共演者ならご存知の、あの飄々としたたたずまいのまま。演奏の音も、いつものあの音。

上記リンク先の野々村氏のレビューから引用する。

100mを9秒台で走るタイプの「技術」だけがオリジナリティではないはずだ。むしろ、「一見簡単そうだが、そこに<音楽>があるとは誰も思わなかったこと」こそが、真のオリジナリティではないか。

この指摘に俺は深く同意する。そしてそれは、掛け値なしに、素晴らしいことだ


んーー、そんで、後半のトリオ演奏なんだけど、やっぱ、チェン/ボセッティのご両人とも、音量が上がってくると、燃えちゃうというか張り合っちゃうタイプなんだなぁ、と実感した(苦笑)。倍音の多い音色で狭い会場で大音量にしちゃうから、全体の音がつぶれてグチャっとした塊になっちゃうんだよなー。音楽の録音でいうとコンプレッサーやリミッターをかけすぎた状態みたいな。音圧感はあるんだけどダイナミクスが無い、みたいな。山内氏の音も掻き消されちゃうしさ。そんな感じでした。