8/18 室内楽コンサートvol.1 @Loop-Line


この日は、職場で急な休みをとった他スタッフの代理の仕事(尻拭いともいう)に追われて定時に退社できず。急ぎ駆けつけたLoop-Lineでは「ちょうど1曲目が終わったところです」と言われ、大蔵氏の曲は聴くことができなかった(涙)。


出演者の並びは、Loop-Lineの入り口から左回りに:

演奏された曲は:

  • 大蔵雅彦:(不詳。聴けなかったので)
  • 宇波拓:「飯田さん」
  • 杉本拓:「Chamber Songs #1」

宇波氏のマンドリンは、背面が半球状のリュートタイプではなくブルーグラスで使われるいわゆるフラットマンドリン、上江洲女史のハープは、クラシックのコンサートで使われるようなペダルのついた大型の楽器ではなく、高さ1メートルくらいのウェールズアイリッシュで使われるようなタイプ。杉本氏のギターは、いつもメインのPUが2つついたギルドではなく、同じギルドのジャズギターだが1 PUの廉価版モデル。


念のため明記しておいたほうがいいだろう。宇波氏の曲も杉本氏の曲も、もはや“沈黙の音楽”ではない。数分間の沈黙を演奏者と聴衆が苦行のように共有する、というのではなく、けっこう常に誰かしら音を出している(っていうのも変な説明だな)。沈黙がその場を支配するという局面は少ない、というかほとんどなかったのではないか。


どちらの曲も即興の要素はないようで、各自ストップウォッチときっちり書かれた譜面に基づく演奏。ただしその演奏は“合奏”とか“アンサンブル”として組織されず、インタープレイ的な相互反応も意図されていないようだ。プレイヤーはそれぞれ孤立した状態で譜面に基づき音を出す。人がその場でライブで演奏しているものの、インスタレーションのような印象もある。よくCD屋のPOPの煽り文句に「人力テクノ」だの「人力ドラムンベース」だのというのがあるが、その伝でいくと“人力サウンドインスタレーション”か。「UNION本店6Fフロア一同大スイセン!」みたいな。すみません冗談です。


宇波曲は、飯田氏が文庫本から時折り淡々と短歌(石川啄木か誰か?)を読み上げる中、管楽器隊が1呼吸1音くらいのペースでロングトーンを吹き、佳村さんが同様なペースでハミングでため息のような1音を歌い、ギターとハープがシンプルな単音または重音を断続的にポーン・ポーンと置いていく。服部氏のバウロン(でいいのかな?)も、間を置いて「ボム」と1音、みたいな感じだが、打楽器とはいえ底を支えるとか句読点のように演奏に区切りをつけるというのではなく、他の楽器と並列して置かれているというふうに聞こえた。


曲中で句読点的な役割を果たしていたのは宇波氏のマンドリンで、時折り短い数小節のメロディ(曲がりくねったヘンテコなライン。80年代のキングクリムゾンの変拍子アルペジオみたいな)を弾くと、それを合図に演奏が変わる、という仕掛けになっていたようだった。ちょうどラジオ番組のいわゆる「ジングル」のような役目。


宇波曲はけっこう普通に聴けるというか、ヨーロッパの、チェンバー・ロックとかレコメン系とか言われるバンドの変な管弦楽曲みたいに聴くこともできたが、杉本曲は比較すると、より無機質で、“曲”というよりはサウンドアート的な要素が強い印象を受けた。


冒頭、飯田氏の自作の詩(サナギになった自分が溶け出さないようにゆっくり動く、みたいな現代詩調のテキスト)を読み上げ、続いて各楽器群が、やはりお互いに干渉しあうことなく、スーとかフーとかいう音を出していく。こちらの曲のほうが、沈黙までとは言わないが楽器音の間が長い。ギターとハープは、やはり長い間をおいて、なんとごくシンプルな「ドレミファソラシド」の音階を上昇・下降する(あれ?ドレミを使ってたのは宇波曲のほうだっけ?なんか記憶がごっちゃになってしまっている)。


意外だったのが、佳村さんにメロディと歌詞のついた「歌」が用意されていたこと。ファンにはおなじみの、繊細で高音の澄んだ歌声。このメロディラインがけっこう複雑というか、音の上下や跳躍の多い普通には歌いづらそうな、プログレとか前衛シャンソンみたいなのだった。それにしても歌がでてくるとは。後日某SNSで知ったのだが、冒頭に朗読された飯田氏の詩を英訳してメロディをつけたものだそうな。


それにしても。曲の構造やコンセプションはともかく、お二人とも曲をつくるとなると、どうしてもプログレ/ユーロ・ロックっぽいテイストが入ってしまうのは、これは刷り込みみたいなもんなのかな。P-Model平沢進はかつて「自分の作る曲にプログレっぽさが漂ってしまうのは、これはもう訛りみたいなもんだからしょうがない」という発言をしていたが、やっぱそういうもんなのだろうか。


あと、佳村さんはいつもながらギリシャ彫刻のようにお美しく、1メートル前で聴いてたり、眼が合ったりしてしまうとドギマギしてしまいました。