面白がりの技術――またはドライブする文体について


先々月のナンシー関/小関騒動(?)をきっかけに、ここ最近、自分が文章を書くにあたって誰の影響を受けたかをつらつらと考えてみたりしている。


そんな折り、タイミングよく、俺が影響を受けた人の記事が載っていたので、超久しぶりに「Player」誌を購入。「Player」なんて10年ぶりくらいに買ったよ(笑)。


プレイヤー・コーポレーション
http://www.player.jp/

吾妻光良& THE SWINGING BOPPERS
健康一番、音楽は二番!! 日本のトップ・ジャンプ・ビッグ・バンドは、いつまでも輝きを失うことなく走り続ける。待望となる新作『セブン&バイ・ディケイド』が間もなくリリース! そしていよいよ驚異の連載300回を迎える、本誌「ぶる〜すギター高座」ヒストリーも掲載!!

俺、この人の連載、スライド・ギター講座の第1回を憶えてる。冒頭いきなり「どどどうも、ぼ、ぼく吾妻といいます」とか、山下清の真似なの(笑)。


当時の「Player」誌って、まだペラペラの薄さで、今の雑誌でいうと「R25」くらいの厚みしかなく、立ち読みすると中綴じのホチキスの所から「クタッ」と折れちゃうような代物だった。たまにフリーペーパーと間違えてる楽器屋があって、ギターの弦とかピックとか他の音楽雑誌を買うとオマケで袋に入ってたりした(涙)。


そんな雑誌の中で吾妻氏の連載は、本筋のギター講座よりも、脱線した雑談やふざけたパロディのほうが面白かったのである。


俺、この連載でロバート・ジョンソンの有名な「クロスロード伝説」(悪魔と取引してギターの腕前を手に入れたという話ね)を知ったのだが、それが小説仕立てで、しかも梶原一騎のマンガのパロディになってんの。
1話ごとにサンハウスが「おぉっ!こ、これはぁっ!」とか叫んだりして次に引っ張るという。


あと、この人の描くヘタウマ漫画でマディ・ウォーターズの生涯を知ったり。


いまやそういうパロディは世に溢れているが、70年代にこれをやってたのは、かなり早かった。


考えてみたら、俺、モノ書くにあたって、いわゆる音楽評論家とかライターの影響ってほとんど無い気がする。俺がモノを書くにあたって影響受けてるのって、次の5人だ:

  1. しゃべってる時(または聞き書き*1淀川長治: http://ja.wikipedia.org/wiki/淀川長治
  2. 植草甚一: http://ja.wikipedia.org/wiki/植草甚一
  3. 横田順彌: http://ja.wikipedia.org/wiki/横田順彌
  4. ナンシー関: http://ja.wikipedia.org/wiki/ナンシー関
  5. 吾妻光良: http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A002794/-.html

こうやって列挙してみると、見事にロック/ジャズ系のヒトがいない(笑)。


なぜかというと、俺が思春期を過ごした70年代のポピュラーミュージック批評には、“ロックをこんなに熱く語ってる俺ってどう?”てな御託主張を激しい口調で強弁するような御仁が多くて、「あぁ、こんなオトナにはなりたくないな」と思うことのほうが多かったからだ。そのアーティストには興味があるけど、オメーにはこれっぽっちも興味ねーよ、みたいな。


上記5人の先達には、共通した素養があるように思われる。


それは、“面白がりの天才”ということだ。


映画好きの人間で、淀川先生が映画を“楽しむ・面白がる”ことにおいて天才であったことに異論のある者はいないだろう。


上記に挙げた他の4人も、それぞれジャズ、日本の古典SF、テレビ番組、ブルース、と全くジャンルは異なるものの、その分野で“面白がり”の第一人者であったことは間違いない。


さて。


映画でも音楽でも絵画でもなんでもいいのだが、それについて何か書いている人間が真に面白がっているときのみ、その文体に一種の“ドライブ感”やダイナミズムや勢いという感覚が宿る、ということがあるのではないか。


俺が彼らから学び受け継いだことは、“面白がりの技術”とでも呼ぶべき感覚なのかもしれない。


学ぶとは“まねび”つまり模倣から始まる、とはよくいわれることだ。


だが、単なる模倣にとどまらない、“面白がりの技術”という形での“ミームの伝播・感染”も、現実的にありえるのではないだろうか。


そして、その伝播・感染は、対象となる音楽(または芸術etc)を本当に心の底から面白がることでしか実現しえない。


だから、俺が年下の若い世代のヒトに望むことがあるとすれば、「もっと面白がってちょ♪」という、ただそれだけである。


俺は、俺がカバーしきれない分野で“面白がりの天才”を発揮している若者のレビューをマジで読みたいのである。そのレビューがほんと面白ければそのCD聴いたりライブ行ったりしたいし。本当にマジで。



映画は語る

映画は語る

植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))

植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))

テレビの鬼

テレビの鬼

ブルース飲むバカ歌うバカ復刊ドットコム
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=30908


横田氏の代表作「日本SF古典こてん」は現在絶版のようだ。Amazonとかでは妙に高値がついているようだが、古書店や、ハヤカワJA文庫をマメにそろえている図書館であれば読める可能性は高いと思われる。名著なのでこの機会にぜひご一読を。「と学会」が横田順彌の嫡子だとしたら、俺は横田順彌庶子かもしれない。

*1:淀川先生の“書く”文章、あれは寄席とか歌舞伎とかの舞台評の伝統にのっとった文体であって、一種のシーラカンス的な“生きた化石”である。今でも歌舞伎座のパンフレットとか新内節の故・岡本文弥の本とかで読むことができる。つまり批評としては“終わってる”のだが、それと淀川先生の語りはまた別の“芸”である。