俺とナンシー関。


え〜、数多くのブックマークやトラバをいただきましてありがとうございます。身に余る光栄です。小関氏については6/18の日記で言いたいこと言い尽くしちゃったので、もう特に付け加えることはないです。なのでちょっとナンシー関にまつわる、俺の思い出話などを。


俺が初めてナンシー関の消しゴム版画を見たのは、80年代初頭の写真雑誌「写楽」だった。


ナンシー関の初期の活動拠点は、えのきどいちろういとうせいこうが編集に関わってた「Hot-Dog PRESS」だけど、俺が「写楽」でみたのは、ナンシー関がコラムを執筆したり消しゴム版画を載せたりしたのではなく、「ヘンな活動をしている女子大生発見」というような切り口の「街の小ネタ」的なニュース記事だった。


今の雑誌で言うと「Studio Voice」の後半に1ページ4分割くらいにして映画や演劇や音楽や街の小ネタが載ってるコーナーがあるじゃない?ああいうトコに載ってたの。


載ってたスタンプ(←こういう表記だったと思う)は、花登筺(はなと こばこ)のドラマに出てくる戦前の“丁稚どん”みたいなキャラが、雑巾がけしてたり、ホウキで掃き掃除してたりする絵に、「辛抱」とか「やったるでぇ」とかいう文字が添えてあるというヤツ。あと、丁稚どんが母親と墓参りをしていて「おとうちゃん、見とってや」とか書いてあるの(笑)。


公式サイト「ボン研究所」等のプロフィールに記されている、これ↓ね。ネットでは画像は見つかんなかった。
http://www.bonken.co.jp/profile_main.html

その頃読んでいた花登筐の小説にインスパイアを受けて「丁稚シリーズ十連作」を制作。友達に押してあげたりしていたところ、それがえのきどいちろう氏の目に触れ、当時氏の所属していた編集プロダクション「シュワッチ」に誘われプロの消しゴム版画家となる。


ちなみにこの雑誌の誌名、若いヒトは知らないかもしれないけど、シャラクではなく「シャガク」と読むのだ。メインにフィーチャーされていた写真家としては篠山紀信(現シノヤマキシン)。「激写」とかいってブイブイ言わせてた頃で、俺もさんざんイロイロとお世話になったものだった。


ググッてたらこんな↓ブログを発見。うわ、懐かし、...というか自分の過去の恥部を晒されているようだ(嫌な汗)。


写楽(しゃがく)SHAGAKU/ウェブリブログ
http://coli001.at.webry.info/


さて。


以下に綴る思い出は、俺にとって長年の謎なの。俺、確かに記憶があるんだけど、ネット等で情報を探しても一向にそんな事実があったという証拠が見つからないんだよね。人間の記憶って自分自身に嘘をつくものだから、もしかしたら後から捏造されてつけ加えられた妄想なのかもしれない。でも、ホントに記憶があるんだけどな....。


その「写楽」の記事では、「ナンシー関さんのヘンテコなハンコは、ラフォーレ原宿の雑貨コーナーで販売中」というふうに書かれていたのである。


ナンシー関のハンコが販売?今考えりゃ、あの消しゴム版画の“版木”は1点ものなわけで、量産しなけりゃ販売できるわけがない。ナンシー関がそんなことしてたっけ?


でもね、その記憶は確かにあるんだよ。だって俺、買いに行ったもの。ラフォーレ原宿まで。一人で。俺、生まれて初めて原宿行ったの、それだったから憶えてるんだよ。初めての原宿の買い物がナンシー関。何なんだ俺。


で、買えたかどうか?と言うと、買えなかった。オサレな雰囲気に気圧されちゃって。一応、ラフォーレ原宿の建物には入ったの。そこは、ナウい女性の牙城だった。マンガでいうとモロに「東京エイティーズ」(amazon:東京エイティーズ)の世界。


段カット聖子ちゃんカットといった髪型に、ハマトラサーファーファッションに身を包んだ、最新流行のナウいお姉さんたちがわんさといる場所だったのである。


そんなところで、南浦和(現・さいたま市南区)のダサ坊だった俺が、ナウい店員のお姉さんに聞けるか?「あ、あの、ナンシー関というヒトが作った、花登筐のハンコってどこで売ってますか」「は?」「あのぅ、丁稚どんが雑巾がけしたりしてるやつなんですけど....」聞けねぇナウいお姉さんにそんなこと聞けねぇ。当時から(今もだが)ヘタレ野郎だった俺は、逃げるようにして帰ってきたのであった。


ちなみに、「ナウい」というコトバはナンシー関id:amiyoshidaさんも大ファンの、ムーンライダーズ鈴木慶一氏が70年代に作った造語である。これトリビア


だから、ナンシー関の消しゴム版画がハンコとして販売されていたのかどうかは、謎のまま残されたのであった。なんだったんだろう、あの体験というかこの記憶は。俺の夏の日の(確か暑かった。夏休み?)妄想か。こういうふうに日記にしたらますます自信がなくなってきた....。


ナンシー関のデビューのいきさつや初期の活動の様子は、河出書房の「文藝別冊・トリビュート特集 ナンシー関」所収のえのきどいちろう氏へのインタビューに詳しい。その中で印象深いのは、

ぼくはあまり知らない編集者とかから「文体がナンシー関に似てますね」と言われることがあるんですが、似てるも何も、そのころはバンドでいうとまだそれぞれソロ活動になる前みたいなもので、影響を及ぼしあっていると思います。(中略)「スタジオ・ボイス」でナンシー関高橋洋二押切伸一の三人が「テレビの泉」という連載をはじめたのもそういうバンド活動的な感覚で(後略)

というくだりだ。ちょっと羨ましい。仕事が「バンド」的なチームワークで進められる。これ、ある意味理想。しかもバンドのリーダーが、いとうせいこうえのきどいちろう。これ最強。そんな環境でナンシー関は才能を開花させていき、バンドでいえば「バックで印象的な音を出すキーボードの子」みたいな感じで注目されて、あちこちからセッションのお声がかかるようになっていったというわけなのだろう。はっきりいってうらやますい。


んで、俺は当時、ナンシー関って、てっきり美大やデザイン系専門学校とか行ってる子で、黒い服着てボブカット襟足を刈り上げてて、小柄で腺病質な“ナゴムギャル”系不思議ちゃん少女だと勝手にイメージを膨らませていたのだが、実物のご尊顔を拝謁したのはそれから何年も後、デビュー作「ナンシー関の顔面手帖」(91年)の頃だった。イメージはものの見事に崩れ去ったのであった(笑)。


ナンシー関―トリビュート特集 (KAWADE夢ムック)

ナンシー関―トリビュート特集 (KAWADE夢ムック)


↑めちゃめちゃ面白い。オススメ。特にデビュー当時のことを語ったえのきどいちろうへのインタビューと、“けなされる側”のテレビ業界がナンシー批評を受容していく過程を現場から語った高橋洋二のエッセイ(ダウンタウン松本が認めてから風向きが変わったらしい)が出色の出来。