本物とパチモン:ナンシー関vsナンシー小関・10番勝負


いま巷で話題のナンシー関のパチモン、ナンシー小関(このネーミングのセンスだけでもうorzだが…)の「顔面スタンプ」と元祖ナンシー関の消しゴム版画を並列してみるテスト。


ナンシー小関の顔面スタンプ

ナンシー小関の顔面スタンプ

上記2冊から、

  • 小関本のページのスキャン vs
  • ナンシー関による同一人物の消しゴム版画+文章の引用

と並べてみた。小関本のキャプションは見づらいけどスキャン画像で読んでちょ。つまんないからそれで十分だけど。


泉ピン子

確かに泉ピン子は、必ずといっていいほど場の空気を壊す。「イエーイ!」と叫んでピースサインしながら登場(とほほ)に始まる、過剰な自己主張とそれを表しきる行動力。(中略)泉ピン子の過剰な自己主張と神通力は、彼女の「大物性」によってではなく、「自分はバラエティー出身である」という自己認識によって敢行されていたのである。例のピースサインは、大物のトンチンカンではなく、「お笑いもいける」という自覚のうえの演出だったのだ。(97.11.7)


大橋巨泉

大橋巨泉は本当に芸能界を引退したのだろうか?今の状態は、もしかしたら逆に芸能人としての寿命を延ばすための、巧妙な作戦ではないかと思えてきた。(中略)そういえば、何か年々巨泉のテレビに出る量が少しずつ増えているような気がしないだろうか。この先どんどん増えるのか?一年じゅう「閉店セール」をしている家具屋に似てないか?(99.5.18)


川島なお美

川島なお美が「なおみ」の「み」の字だけを漢字の「美」にしていることについてじっくり考えてみたりすると、なんともいえない嫌な気持ちになったりする。勝手になっているわけだが。ま、こうやって私は川島なお美を味わっているわけである。私としてはギリギリの悪食だ。(96.9.18)


工藤静香

二科展入選の常連として知られる工藤静香が、今度はジュエリーデザイナーとしてデビューするそうだ。しかしこの「二科展」ってのは謎だ。(中略)工藤静香の絵だって高くてもいい。でもどう考えても、その値段のほとんどは、「歌手・工藤静香」が稼いだもののはずである。そこを何かごまかそうとしてるように見えるのだ。(97.6.20)


高田万由子

この「文化」発言で、私は何故に高田万由子が嫌いかがはっきりした。コイツは芸能というものをナメている。(中略)何故、芸能界に入ってくるか。その「人生」において、芸能は横道それてるだろう。高田万由子のやるべきことは、芸能界には何ひとつないだろうに。道草だ。道草くってるとこ見せられてもさ。(96.8.16)


【デーブ・スペクター】

デーブ・スペクターも「つまらないのを承知のうえ、今日も駄ジャレで登場」を、自分も楽しみながらやっている、とでもしておこうか。しかし、しかしだ。その「承知のうえ」は本当なのか。デーブの「承知」および「(自分は嫌な外国人タレントのパターンを演じているという)自覚」は“浅い”。本人の「承知」「自覚」からはみ出した部分(けっこう大量)を感知して、私は嫌悪しているのだ。(94.3.7)


【松岡修造】

テレビの中の松岡修造がおもしろい確立はかなり高い。でもそれは修造の計算が合っているからではない。(中略)その考えたキャラがばっちりハマっておもしろいのではなく、「どんなキャラクターでいこうか」と考えていること自体がおもしろいのである。「みんな天然だと思っているのだろうけど、ところが僕は相当考えてやっている」という修造の「自覚」そのものが、いちばんおもしろい。(01.7.15)


みのもんた

でもときどき、なんというか小躍りしたくなるようなスキャンダルもあるわけで、それがこの「みのもんた ウィッキーさんにおもいッきりパンチ!」みたいな話なのである。(中略)鑑賞のしどころは三つある。「おもいッきりテレビ」の宴会(それも百人単位の大宴会)という空間の存在。あのウィッキーさんが酔ってセクハラまがいのちょっかいという意外。そして佳代ちゃん(44歳)を中心として完成した、まさに竹内まりや「けんかをやめて」ワールド。けんかをやめて二人を止めて、のその二人はアントン・ウィッキー(56歳)&みのもんた(52歳)という地獄絵図、というか酒池肉林。(96.12.12)


【森光子】

全芸能人の「やってる、やってない」が表になって発表されたら、ワイドショーはなくなるかもしれない。とにかくワイドショーは「やってる、やってない」の鬼だから。(中略)べつに、二人がやってるか、やってないか知りたいわけではないが、「ヒガシ君の前では少女のような森さん」「年下の美青年に愛されるヒミツは?」「四十三歳の年の差なんて」などというふざけたフレーズで、気持ちの悪いコンセンサスができるのは変だ。(96.1.31)


薬丸裕英

薬丸は、二十年後にみのもんたになるね。それほどの男だよ。(中略)大和田獏は、何ヶ月か何年後かはわからないけど、いつか「奥さま相手」というフィールドから撤退していくはずである。が、薬丸は違う。本人にどんな人生設計があろうが、事務所に戦略があろうが、薬丸はあのフィールドに居続ける。薬丸って、もう「はなまるカフェ」に住んでるように見えないだろうか。(99.4.22)


では、並べてみたところで感想を。まずは絵のことから。


似顔絵の目的が“似ている”ことにあるとしたら、まぁ確かに似ているっちゃあ似ている(各所で指摘されているとおり写真のスキャン/加工であったとしたらそれも当然だが)。


まぁその問題をひとまず措くとして、イラストとしての出来・不出来をみると、どうにもこう、“悪い意味での達者さ”を感じる。ソツのなさや、キレイにまとまることが、果たして“作品”の出来不出来としてどうよ、という。なんか「電話で資格講座とか利殖を勧誘してくるテレセールスの、妙に淀みないトーク」とか「エアロビやチアリーディングの女の子の不自然な明るさ」とか「プレゼン慣れしたサラリーマンの、変にアメリカのビジネスマンじみたジェスチャー」に共通する印象を受ける。不自然な達者さ。


例えば山藤章ニの「似顔絵塾」に投稿して、これらの作品が入選するかどうかは疑問である。


あと、文字が書き文字ではなくフォントなのもマイナス材料。太い明朝体の白抜き、って今どきエヴァかよ。だがこれら小塚フォントならぬ小関フォントのおかげで、ナンシー関の書き文字の絶妙さと、そこに込められたもの凄い悪意を改めて認識したのもまた事実。


文字に話が及んだから、引き続いて線について。


線についても、ナンシー画伯(もう尊称付き)の彫る線の凄さは傑出している。もったりしてグニョっとした印象のライン。そのただの線に悪意を込められるなんて凄い。上に挙げた画像で泉ピン子みのもんた薬丸裕英を見よ。泉ピン子がバラエティ番組にでたときに見せる酷く卑しい表情、みのもんたが、電話を掛けてきた視聴者のグチに飽きてきてるときの表情、薬丸がはなまるカフェで安泰であることの空虚さ…。それらが見事に捕らえられているのは、このグニョっとした線あってこそであろう。


さて、最後に、小関氏とこの本が評判悪いことについての感想を。


今回、小関氏の本とmixiでの活動を知って俺もショックを受けた。以上の日記をお読みいただいたとおり、俺は小関氏の活動に対しては評価しないし極めて否定的である。それはなぜかというと、

  • まさか出てくるとは思っても見なかったものが、
  • 最も出てきて欲しくないところから、
  • 最も出てきてはならない形で出てきてしまった

と思うからである。


ナンシー関がテレビを見ながらその生涯をかけて書き続けたテーマは、実は“テレビと芸能界をめぐる倫理”だったと考えている。ここらへん書きだすとまた長くなるし、もういい加減長くなって疲れたからここではこれ以上説明しないけど。ただ、倫理と言っても「最近のテレビは低俗でけしからん」という類の保守反動オヤヂの噴き上がりというのとは全く違うんだよ、ということだけ言っとく。


んで、ナンシー女史が最も嫌ったものが“さもしさ”と“臆面の無さ”だった。


今回俺が受けたショックというのは、かつてナンシー関を面白いと思った者が、まさかナンシー関をダシにして、さもしくも臆面無く、自分が世に出るための踏み台に使うとは思わなかった、ということにあると思う。


小関本の「はじめに 〜 ナンシー関を偲んで」という巻頭言にはこうある。この本で最も虫唾が走る下りだ。

それは、ナンシー関さんのスピリットを未来に伝えて行きたいという、勝手な使命感です。私はあくまでナンシー“小”関です。彼女を超えようなんて思いもしません。ですが、私のスタンプをきっかけにしてナンシー関さんの著作に出会った人がいたら、それは望外の喜びという他ありません。
ナンシー関さんが作り上げた似顔絵スタンプをさらに世に広めるために―ホントに勝手な使命感ですが―「本家」の価値をさらに高めるため、私はニセモノとして、今日もまたスタンプ画を作っていきます。

「彼女を超えようなんて思いもしません」「私のスタンプをきっかけにしてナンシー関さんの著作に」「「本家」の価値をさらに高めるため、私はニセモノとして」。これらのコトバに触れて感じる言いようの無い嫌悪感。これはちょうどヒューザー社長・小嶋進容疑者の“涙の釈明”や“私はオジャマモン”発言への嫌悪感に近いものがある。


小関本は、書店でナンシー関の著作と並べて置かれるべきではなく、下記のような本と並べて置かれるべきである:その臆面の無さと世に出るためには手段を選ばない姿勢、ネット発の悪書という意味で。

  • 石原 里紗「くたばれ専業主婦」
  • 杉浦由美子「オタク女子研究 腐女子思想大系」
  • 村瀬 千文「世界極上ホテル術」

かつて大月隆寛は、ナンシー関逝去に接して「いつも心にナンシーを」という至言を残した。今回俺は、ナンシー関に直接間接に影響を受けた者一人一人の心に棲む「内なるナンシー」にクオリティの差がありえる、という至極当然の事実に、今さらながら冷水を浴びせられる気持ちがしたのであった。ダメだ。まだまだ甘ちゃんだ俺も。