(改稿)彼について知っている2・3の事柄

(5/5 19:45 改稿:当初の内容があまりにもサムくてイタかったので全面改稿。俺、やっぱ、揶揄する文章下手だわ。orz  あと、前日 "V for Vendetta" 観ちゃってファッショ許すまじって気分になっちゃったんで(爆)。それじゃあレベルとして、カンフー映画とか「ロッキー」観た後の小中学生だよねぇ。)


石原慎太郎のことを考えるとき、俺には二つの言葉が思い浮かぶ。一つは5/3の日記のタイトルにした“無邪気な老醜”。もう一つは、“ガキ大将の処世”である。


子供の頃を思い出してもらいたい。小・中・高校、いつでもかまわない(若い人ならつい最近の思い出かも)。または、あなたが小学生以上のお子さんをお持ちの親御さんなら、お子さんの困ったクラスメイトのことでもいい。


ガキ大将タイプの男児って、けっこう“嫌な感じに計算高い”ところがないだろうか。自分がどうみられてるか、そのためにはどう振舞えばいいか、自己演出をわきまえているというか。


石原慎太郎はそういう男児がそのまま大人になり、老人になってしまった存在である。それは、石原翁の行動や言動の多くが“稚気”という言葉をくっつけると説明がつくし、納得がいく・しっくり腑に落ちることからも明らかだ。


例えば“三国人”発言後、石原翁は“学習”した。


この騒動の後、石原発言は、「暴言を吐く→“これは○○のためを思って敢えて言ったこと”と繕う」という形がパターン化する。


ここに至って石原翁は、“敢えて言った”という言い訳を事前に用意しておくことで、その前段に好き勝手なことを言えるようになった。また、これを繰り返すことで、周りが「都知事は今回も“東京、元気出せ”という叱咤激励の思いを込めて敢えて言ったのかも」と勝手に善意に解釈(苦笑)してくれるようになった。ある意味これ最強。今回のカルティエ展での“ガラクタ”発言に絡む、Webでの“現代アートよ○○であれという挑発を込めたのでは?”という類の言説は、このパターンにあたる。


石原翁のことを考えるときは、“タカ派”とか“ファシスト”とか“右翼”とかそういう政治的な用語を思い浮かべないほうが、むしろうまくいく。


彼に対しては、むしろ“子供をいじめて困るのだが、ずる賢く立ち振る舞うので学校へのクレームや保護者会に諮るまで至れない、尻尾を掴ませないタチの悪いクラスのボス”という視線を保つことが大切だ。


そのような視線こそが、“慎太郎的なるものを相対化する”ことに他ならないのではないだろうか。


ところで、俺、確かに石原慎太郎が嫌いだけど、かといって“アンチ石原な人々”とは“連帯”も“共闘”もするつもりはない。なぜかというと、“反石原闘争”を繰り広げることは、“慎太郎的なるもの”を相対化・無効化することには全くならず、むしろ強化してしまうと思うからだ。


なぜなら「アンチ石原に敢然と立ち向かい、圧力に屈しない慎太郎」というのは、石原翁がまさに“見てほしい姿”だからだ。


少々脱線するけど“アンチ石原”陣営の代表格、宮崎学姜尚中辛淑玉の三人は、これが三人揃ってひどく人相悪いんだ(爆)。ニュースで、石原都知事が定例会見で吹き上げてる画面に続いて「石原発言に批判が高まっています」つって辛淑玉女史が大声でまくし立ててたら、まったく味方する気になれないっつうかさ(笑)。どうみてもお三方のほうが悪役にしか見えない。いわば、彼らは逆説的に“石原(慎太郎)軍団”の一員になっちゃってるわけよ、敵役として。石原翁は、永田町ではダメだったけど都知事になって初めて、自前の石原軍団を持てたわけだ。


つうことで、俺、石原翁の“見てほしい姿”を補完するいかなるアクションにも加担するつもりはない。


では、どうすべきか。“見てほしい姿”が強烈にあるのだから、実は同時に“見られたくない姿”があるはずなのよ。それを探すべきだ。


つうか政治家には、必ず“こう見てほしい俺”と“こうは見られたくない俺”というのがあるんで。言動や行状を額面どおり受け取るのはそれこそ思う壷である。


例えば石原翁の場合であれば:

bold;">見られたい俺:議員勤続25年を機に石原は自ら国会議員を辞職。一語一語を吐き出すように語られた辞職表明で石原は、日本のことを「国家としての明確な意思表示さえできない、さながら去勢された宦官のようである」と断じた。そして「現在の政治に対する国民の軽蔑と不信はまさに自分自身の罪科である」と自らの非力さを詫びたのだった。
bold;">見られたくない俺:派閥抗争では芽が出ず、総裁選では海部の当て馬にされ、ましてや田舎っぺで金まみれの金丸信小沢一郎と渡辺ミッチーに軽くあしらわれるのはこれ以上ガマンできない。


石原慎太郎 金丸信」でググると(google:石原慎太郎 金丸信)、石原翁の、金丸に対するまるで呪詛のような言葉の数々がヒットする。「自民党金丸信なる悪しき実力者の君臨の下経世 会に支配され」「当時は金丸信の絶頂期で,社会党の委員長は「田辺というバカ」(同氏),首相は「ちょっとデキの悪い,金丸の操り人形」(同氏)だった海部俊樹が務めていた」等々。よほどトラウマだったんだねぇ(笑)。こういう発言が一番血が通ってみえるのが、なんとも味わい深いなぁ、と思うのである。