音楽ドキュメンタリーにおけるノマド的なるもの。


さて、"Step Across the Border" と "Touch the Sound" という、相互補完関係にある2本のドキュメンタリーを取り上げたわけだが、これらについて語りたい。


"Touch..." を観ていて、俺、途中で「内容良いけどけっこう長いな、この映画...」と思った。音楽ドキュメンタリーとしてはいささか冗長だと。


んで、そう思った途端に「そっか、“ライヴの本番”をクライマックスとして持ってきてないからだ」と気づいた。


実はここには、音楽における時間の流れ方についての重要なヒントが隠されていると思うのだ。


音楽のドキュメンタリー映像で、ライヴを中心に据えた作品は、だいたい以下のような構成になっている。

  1. ライブ会場へミュージシャンや機材到着、ステージ設営
  2. 今回の公演のいきさつや背景がナレーションで挿入
  3. サウンドチェックとリハ:トラブルや揉め事
  4. メンバーやスタッフのインタビューや独白
  5. リハ2
  6. オフ:街へ繰り出すメンバー達
  7. メンバーやスタッフのインタビューや独白2
  8. ステージ本番
  9. 終了。祭りの後の余韻を残して撤収。

チャック・ベリー "Hail Hail Rock'n'Roll" も、U2 "Rattle and Hum" も、モータウン "Standing in the Shadows of Motown" も、"Buena Vista Social Club" もそうだった。おぢさん、最近の若者の音楽知らないけど、バンドのツアーのドキュメンタリーって、ほとんどみんなこういう構成なんじゃないの。


"Step..." も "Touch..." も、このような構成を採っていない。


そもそも“晴れの舞台”たる、大きな会場でのコンサート自体が収録されてない。リハとかセッションとか、自宅で物を叩いてるとか、そんなんばっかりである。


カット割りも、リニア(線的)に時系列に沿って並べられておらず、ランダムに跳んだり戻ったりする。ケルン→ニューヨーク→ケルン→富士市→京都→スコットランド→またケルン...といった具合(あんま正確に覚えてないけど)。


"Touch..." の原題のサブタイトルは "A sound journey with Evelyn Glennie" と銘打たれている。


楽勝英会話」さん によると
http://rakueigo.seesaa.net/
http://rakueigo.seesaa.net/article/7120962.html

・journey は長い陸路の旅。
・voyage は長い水路の旅。
・trip はある地点からある地点までの2つの場所の移動に使う。
・travel は移動することそのものを指す。動詞になると進む。
・tour は出発点に戻ってくる移動。

俺はこれにもう一つ、"wandering"(彷徨・漂泊・さすらい)を足してみたい。


フレッド・フリスやエヴリン・グレニーにとっての“旅”は、tour ではなく、trip や travel や wandering だと言えるのではないだろうか。


彼らの旅がなぜそのような形を取らざるを得ないかといえば、それはとりもなおさず、彼らの音楽がまさにそのような形態をしているからなのではないか。


彼らが2つの映画で見せる演奏の中に流れる時間の流れは、いわば“無時間”であり、開始→終演に向かって“線的”に流れていくものではない。だから彼らを撮影した映画も、必然的に時間の流れがあのようにならざるを得なかった。


つまり、この2つの映画と彼らの音楽は、ちょうどフラクタル図形が大きな構造と細部の小さな構造が同じ形をしているように、相似形をなしているのである。


繰り返すが、この事実はいわゆる“フリー・インプロヴィゼーション”およびその周辺に位置する音楽を考えるにあたって、きわめて示唆に富んでいると思うのだ。どうだろうか。