レビュー:2/10 アンカーシュミット・イエラシ・角田

ギチギチにお客さん詰め込まれたキッド・アイラック・ホール。ちょうど一年前、2005/01/27のアクセル・ドゥナー/マッツ・グスタフソンと宇波氏達のライブもこんだけギチギチだったなぁ、と思い出す。あんときは前の道路を拡幅工事していて、演奏よりも外の音のほうがデカかったりした(笑)が、今は道も広くなってすっきりした。


それにしても、俺の学生時代(昭和の頃!)は小汚い貧乏学生の街だったんだが、時代は変わった。今のキッド・アイラックがある場所は以前は雀荘だったはずだが、今や雀荘自体、学生街にあんま見ないもんな。


(会場・客席から見て:Left to Right)
前列

後列

  • 宇波 コントラ・ギター
  • 木下 ヴァイオリン
  • 大蔵 アルト・サックス
  • 杉本 Guild製ジャズ・ギター

さらに、最前列にステレオ・マイクとパワード・モニター。

アンカーシュミット ソロ

  1. シンセ
  2. サックス

EMSのシンセサイザー "Synthi-A" は、70年代の名機といわれる(google:EMS "Synthi A"])。アタッシュケースに納められていて、蓋のほうが操作パネル、本体のほうがキーボードになっている。また、いわゆるモジュラー・シンセの多く(モーグ、アープ、ブックラ、ローランド等)がモジュール・ユニット間を長いパッチ・ケーブルで繋ぐのに対して、ケーブルではなく昔の「レーダー作戦ゲーム([google:レーダー作戦ゲーム)」みたいなピンの抜き差しでする仕組みになってるのが特徴。トマス・レーンも使ってたな。


この日アンカーシュミット氏は、 "Synthi-A" のキーボード部を取り外してパネル部だけを使用、鍵盤ではなくつまみをグイグイ回したり、パッチ用のピンを数本次々と抜き差しする“演奏”を披露。まるで大工さんが釘を咥えるみたいにして1本口に咥えておいて素早く差し込んだりしてるのが可笑しかったな。


それほど大音量にはしていなかったが、使ってる音は基本的にノイズ系で耳障りなのが多かった。接触不良音っぽかったり道路工事のドリルみたいだったり洗濯機みたいだったり工場のプレス機みたいだったり。 "Synthi-A" にはスプリング・リヴァーブが内蔵されているが、これに過大入力してわざと「ビョギョギョン」とバネを鳴らすという音も多用していた。


続いてサックス・ソロ。アンカーシュミット氏のサックスを聴くのは初めてだったのだが、非常にユニークで驚いた。他に類を見ないかんじ。


なんというか、サックスという楽器の持つダイナミクスやフィーリングや人間臭さを全く放棄した演奏。


サーキュラー・ブレス(循環呼吸)で延々と重音奏法をするのだが、キーに殆ど触れない、つまりフレーズというものを吹かない。そして抑揚をつけずにただ単調に「バウバウバウバウバウバウバウバウ」という音を出し続ける。まるで息じゃなくポンプでサックスに空気吹き込んでるような音。んで、吹きながら体の向きを、前向いたり横向いたり壁に向いたりあちこちに動かして、会場全体に響く音のレゾナンスを変えることで音色やダイナミクスを変化させる。ちょうどオルガンのロータリー・スピーカーのように、またはシンセでフィルターのつまみをゆっくりと回すように。


サックスの音を会場のレゾナンス込みで捉えるという演奏家は、例えばカン・テーファンがそうだけど、カンさんとトーマス氏では出てくる音が全く異なる。カンさんの演奏は例えて言えばホウキみたいなデカい筆で会場の床一面に描く前衛書道みたいなものだが、トーマス氏の演奏は、フィギュア・スケートの規定演技でスケーターがまるで定規とコンパスで描いたように幾何学図形を滑ってみせる、そんな様子を思わせる。その“サックスらしさの放棄”が、同時に“サックス演奏への批評”になっているわけだ。そこんところがすごく面白いと思った。


ちなみにアンカーシュミット氏は、かなりのイケ面である。もう、“典型的アングロサクソンの美青年!”っつう感じ。どことなく、映画“2001年宇宙の旅”のプール飛行士(HAL9000に殺されちゃうほうの人ね)の人に似ている。


イエラシ ソロ

イエラシ氏のソロは、テーブルの上に、

  • かなり大雑把な作りの自作ガジェット:カマボコ板みたいな板切れに、エレキ・ギター用のピックアップが据え付けてあって針金かギターのスチール弦が2、3本張ってある
  • 仰向けに置いたE-Bowの上に針金を乗せ、E-Bowの磁場でその針金が振動する仕掛け

の2つを音源にして、ディレイやエフェクターで色々加工する、という演奏。Z-Vexの "Lo-Fi Loop Junkie" というサンプラーは、メーカーの説明によると、アナログ・ディレイのようなBBE素子でもデジタル・ディレイやサンプラーのような回路でもなく、ヴォイス・レコーダー(マスコミの人が取材に使うようなヤツね)のチップを使って敢えてそのローファイな音の悪さを活かす、というモデルらしい。


音は、ダークな印象のドローンとノイズ。時折、パイプオルガンみたいだったり、パルス状のノイズが夕刻の竹薮で鳴き交わす鳥の囀りのようだったり。なんか「ゴシック・アンビエント・ドローン」なんて言葉が思い浮かんだ。80年代のFool's Mateやペヨトル工房の本で紹介されてた「インダストリアル・ノイズ」のアルバムを思い出しちゃったりして。俺にとっては懐かしい感じの音。


角田俊也“室内楽

インスタレーションやフィールド・レコーディングを表現手段としてきた角田氏の、初の“普通の楽器”と演奏を使ったパフォーマンス。開演に先立ってもらったメールや会場で配られた紙に記された解説というか口上が、非常に興味深いものだった。Web上で公開されていないのかな?


この日披露されたのは2曲(?)というか2つのパフォーマンス。

  • 宇波 コントラ・ギター
  • 木下 ヴァイオリン
  • 大蔵 アルト・サックス
  • 杉本 ジャズ・ギター

宇波氏はラップトップ+スピーカーでパカパカやるのではなく、コントラギターのみをポツポツと間を置いてつまびく演奏。大蔵氏もチューブを使わず普通のサックスのみ。


1.ミュージシャン4人がそれぞれ“いつもの”即興演奏をしてるところを、角田氏がガンマイク(放送局で収録に使う細くて指向性が強いヤツ)で音を拾い、あるレベル以上のピークの音のみ拾い出してアンプ/スピーカーから出す、というパフォーマンス。角田氏はマイクの先を主にホールの壁のあちこちに向けて、楽器から発せられてホール内をスカッシュの球やブロック崩しの弾のように反射する音を捉えようとしていたようだった。


観ていて思い出したのは、SF作家J.G.バラードの短編「音響清掃(または「音を取り除ける男」原題 "The Sound Sweep")」だ。過去に発せられた音が、聴こえなくても実は部屋の隅や天井に埃やゴミのように溜まって人体を害することが発見され、それを聴き取る特殊な才能を持った者が音響の清掃人として掃除して回る、という小説だった。


ここで角田氏がしていたのは、この「音響清掃人」が消していくはずの音を、聴こえる音にして聴かせてくれるようなことだと思う。よく、ホールの残響とかデジタル・リヴァーブの仕組みを説明するときに、立方体のホールの中をスカッシュの球のように音が跳ね返るような図解がされていたが、そういう残響音のうち、さまざまな条件によって一定以上デカくなったところだけ聴かせる、みたいなもんだったのかな。


音的には、エレキ・ギターのヴォリューム奏法(ヴァイオリン奏法)みたいな、アタック感のあまりない、トーン・クラスターみたいな音の塊が、演奏者の音とは脈絡なく「...もんわ〜〜」と出る、という感じだった。演奏者の音が鳴った瞬間とは無関係になるのが面白い。角田氏の過去の活動というのは、“鳴っているんだけど普通は聴こえない”音というかモノの振動を露わにしてみるというものだと思うんだけど、ここでは“環境音”ではなく“ミュージシャン”を“素材”としたという違いはあるものの、そのコンセプトは同じなのが興味深かった。


2.ミュージシャン4人の位置はそのまま。各人に、長いケーブルのつながった“圧電セラミック板”(圧電発音体・圧電振動板)とフットスイッチを渡す。各人にスコアというかインストラクションの紙とストップウォッチが用意されている。


前のほうの床には、20センチ径くらいの裸のスピーカーが4個、仰向けに置かれている。スピーカーの上には以下のマテリアルがザラザラと盛ってある。ステージ向かって左から:

  • ナットやワッシャー
  • マッチの軸(火薬の付いてない素材の状態)
  • 粒が粗めの砂
  • 砕いた貝殻

いわゆるコンセプチュアルアートだと、それぞれが自然や元素を象徴してたりするんだろうが、この場合、音色のバリエーションを意図しただけで、素材の選択にはあんまり意味はないみたいだ(笑)。5大元素には1つ足りないし。


セラミック板は円形で直径3センチくらい、ちょうどニプレス心電図をとるときに身体に貼り付ける吸盤くらいの大きさ。これをミュージシャンが手に持って楽器のあちこちに当て、振動板からの振動(サイン波が流されてたようだ)で鳴らす。それぞれの楽器からは「ブイ〜ン」「ホワ〜ン」「ビビビビ」「ジーーー」etcという微かな音が響く。


これは“演奏”なのか?楽器を“弾いている”と言えるのか?


更に、指示されたタイミングでフットスイッチを踏むと、スピーカーが振動してザーーーー、サラサラ、パチパチという音と共にそれぞれの素材がはぜて音をたてる。雨音や焚き火の音みたいで聴いてると気持ち良くなってくる。宇波氏がラップトップでやるときのような「パカカカカカ」「パッカーン」という素っ頓狂な音はしない。途中、砂が全部飛び散っちゃって途中で角田氏がスピーカーに戻しに行ってたのがご愛嬌。


音的にはどれも面白かったが、床のスピーカーが音を立て始めると、楽器のほうの音がかき消されてしまうことが多かった。


今回のパフォーマンスは:

  • “環境”と“ライブ会場”を二項対立するものと捉えずに、楽器演奏をしている場所をも“環境”と見立ててみる。
  • フィールド・レコーディングにおける、環境→コンタクトマイク→録音機材という矢印の向きを逆にしてみる。つまり、機材(発振器)→セラミック振動版→楽器としてみる。

....というふうに考えればいいのかな。とても面白かった。


なお、角田氏は、何か失敗したかマイクがハウっちゃったりしたときに、オタつかないほうがよいと思った。それ見てるのも楽しいけど(笑)。宇波拓氏は、ラップトップによるオブジェクト演奏のとき、何があってもポーカーフェイスを保っているが、あれくらいの図太さがほしい。


さて。


「2」は、音だけ聴いた場合、ノイズ・ミュージックの1変種として聴けたのだが、「1」は、はたして何だったのだろうか。角田氏がやっていたあれは、“音楽”だったのか。

  • 少なくとも“演奏”ではない。
  • ダブ?いや、エコー使ってないし。
  • リミックス?いや、混ぜたり切り貼りしたりしていないし。
  • サウンド・アート?それ便利すぎる名称だよな。それにサウンド・アートって一般的な認識ではインスタレーション的なもんなんじゃないの?
  • パフォーマンス?何だそりゃ。そもそも「パフォーマンスをする」って「頭痛が痛い」と同じで同義反復だろ。
  • オモシロ科学?いや、子供が喜ぶようなもんじゃないしね(笑)

結局何なんだろうね。名前の付けようがない。分類項がないというか。なんだか分からない(汗)


いや、決してネガティヴなことが言いたいんじゃなくて。


俺、自分の聴いてる音楽(?)の中に「なんだか分からない」のがある状態が好きというか、そういうのが常に必要みたい。昔からそうだったみたいだ。


昔だったら、プログレ聴いてる一方でレジデンツとか西海岸の怪しげなバンド聴いてるとか。イギリスのインディーのバンドがシングルのB面でなんかガシャガシャ“実験”してるのが好きとか。ジャーマン・ロックの中でもコンラッド・シュニッツラーが好きとか。


聴いてる音に“謎”があるのが好きというか。それが、昔だとプログレとかサイケとか現代音楽で、今俺にとって謎なのが杉本氏とか宇波氏とか角田氏とかなのかも知れない。