俺とケージ。


若尾夫妻@Barber富士の直前には「タモリ倶楽部」で奇しくも「ジョン・ケージのこれどうやって弾くの!?」という企画をやっていたし(見ました。えーと、「ホンコンさん、そこ笑っていいんですよ!」と思わず画面に突っ込みを入れましたが)、興が乗ったので俺のケージ体験(笑)を。


ちなみに、番組の模様はこちらのかたの日記が詳しいですね。

http://d.hatena.ne.jp/sakamoto-kun/20050515#p2



俺がケージの曲に初めて接したのは、フォーク歌手小室等が70〜80年代にやっていたFM番組「小室等の音楽夜話」だった。この番組では週代わりでゲストを呼んでトーク&DJをやるのだが、あるとき「現代音楽なんか怖くない*1という特集がかかったのだった。ゲストが誰だったかはいまや記憶にないが、小室の人脈からすると高橋悠治谷川俊太郎だった可能性が高い。そこで初めて、プリペアド・ピアノによる「ソナタとインターリュード」を聴いたのだった。


「こりゃ面白い!」


当時は普通に歌謡曲やニューミュージックやロックを聴くだけのガキだった俺も、なぜかケージの名前だけはかろうじて知っていて、聴いたことはないけどなんかエキセントリックなことをやって物議を醸したりする“ゼンエイの人”らしいという情報だけはアタマに入っていた。だが番組でかかった「ソナタとインターリュード」は、現代音楽だの前衛だの関係なく、ただ単純に「ヘンテコなオモシロ音楽」として、ただのガキだった俺の耳にも新鮮に響いたのだった。


んで、その放送のあった週末、図書館に行ってケージのLPを探した。そう、当時はまだCDもレンタル屋もなく*2“レコード”を借りるのは買った友達か図書館しか選択肢がなかったのだよ(遠い目)。普通のクラシックばっかりのレコード棚のすみっこ*3にいわゆる現代音楽のコーナーがあって、お目当ての「ソナタと....」は無かったが、1枚だけ、当時は知る由もなかったが独WERGOの、ケージのLPがあったのだった。


WERGOのどのアルバムだったか、曲が何だったか、今では覚えていない。とりあえず借りて聴いてみると、ヴァイオリンとかが「ヒー」「スー」「カー」と鳴ってて、解説には「これは弦楽アンサンブルで、弓に圧力を加えずに、つまり弦に弓を押し付けずに触れただけの状態で弾くように、という指示がされているのである」とか書いてあり、「へー、やっぱ変だけど面白ーい」と思った。


というのが俺のケージおよびいわゆる現代音楽との初めての出会いだった訳だが、これがキッカケで現代音楽にハマるということは、全くなく(笑)、その後も数年はフツーにロックやら何やらを聴いてる男の子だった。


音楽の趣味が変わってきた(道を外し始めた?)のは、いわゆるプログレッシヴ・ロックにはまり、「プログレやイギリスのロックのジャケットってなんか凄いのが多い*4なあ」というのからシュルレアリスムやダダの絵を知り、ちっとはいわゆるアートっぽい表現に興味がでて来た頃に、パンク/ニューウェーヴの第2世代・第3世代みたいな連中がアヴァンギャルドな音楽やダブっぽいことをやるのに触れてからだ。


んで、ライナーノートや雑誌を読んでみると「こういうのってみんなフルクサスとかアンディ・ウォーホルとかジョン・ケージがルーツなんだぜ。リスペクト!」ということが書いてある。日本には“チャンス・オペレーション”て名前のバンドも出てきて「これって“偶然性”を曲に取り入れるってケージの作曲法から名前をとったんだぜ」みたいな。


そんな頃ちょうどタイミング良く、西武百貨店のセゾン美術館でけっこう大規模な“マルセル・デュシャン”が開かれて*5、企画の一つにケージのコンサートがあった。コンサートには行けなかったんだが、NHK教育の美術番組でデュシャン展を採り上げたとき、なんか色のついたボールをたくさん落っことして“作曲”したり、変なジェスチャーで“指揮”したりしてる、洗いざらしジージャン+ジーパン姿のジジィがいる。それがケージだった。


インタビューでニコニコしながらデュシャンとの思い出を語る好々爺然としたケージは、“ダダイスト”“反逆児”“革命家”という過去の称号からはほど遠かった。俺の印象はすっかり「相変わらずヘンテコな音楽作ってる、チャーミングで可愛いおじいちゃん*6」というイメージで固定されてしまった。


これがケージとの第2回目の遭遇。


その後CDの時代になり、俺の趣味はいつのまにかフリー・ジャズ、フリー・インプロ、アヴァンギャルド、とにかく変なアルバムやライブ、と坂道をころげ落ちるように(笑)変わっていったわけだ。今回、こんな機会なので今自宅にあるアルバムを掘り返してみたら、けっこう買ってた、ケージのCD。「4分33秒」にいたっては、3枚も持ってる。しかも1枚はシングル盤(爆)。作るほうも作るほうだが買う俺も俺。切腹


こんな感じです ( ´ー`)  ( (C) 電車男

*1:でも、その後もクラシック音楽の番組がたまに現代曲の企画をしたり、クラシックのオムニバスCDで現代曲ものが出たりすると、相変わらずこの手のタイトルがついてる。やはり怖いものなのかなぁ。

*2:日本初の貸レコード屋「You & 愛」ができるのはその数年後だったと記憶する

*3:だが、後にCDになってからそこで見た覚えのあるジャケットを随分見つけたので(フォンテック盤とか)それなりに充実していたのかも、浦和市立図書館。そういえば後にタージ・マハール旅行団のLPも借りたのだ。

*4:ヒプノシスとかが全盛のころですな。

*5:糸井重里が「不思議大好き」とか「おいしい生活」とか名コピーを編み出してて、西武が一番ブイブイ言わせてた頃ですな。糸井+PARCO+YMO周辺の音楽が当時の“トンガリキッズ”には一番“ナウかった”頃。うはっ、赤面ものの過去だ、死にてぇ!

*6:話は変わるが、日本人にはなんか“浮世離れした年寄りに聖性を見る”という独特のメンタリティがあるような気がする。例の昭和の終わり頃の「天皇陛下ってカワイイ」という当時の女の子達の感性とか。映画界でいえば“映画の精”(たしか蓮見重彦高野悦子がこう呼んでた)としての淀川長治とか、漫画家でいえば水木しげるとか。これはなんなのだろう。一度あらためてじっくり考えてみたい。