レビュー再び:大友良英「ギター・ソロ」(エレクトリック編)


http://www.japanimprov.com/cdshop/search.cgi?file=A.yotomo
(アマゾンもいいけど、みんなImprovised Music from Japanから買おうね)


買ってからしばらくたったが、あいかわらず良く聴いている。
前回のレビューはこの日:
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20050301


さて。


Doubt Musicさんのサイトでの宣伝文:
http://www.doubtmusic.com/new.html

エレクトリック・ギターは従来のノイジーで凶暴なサウンドが炸裂する演奏。

こういうのは、「惹句」というものだから、別にいいんだけど(だからイチャモンつけるのでも喧嘩売るのでも何でもないんだけど)俺、大友氏のフィードバックやハウリングの演奏に“過激”とか“凶暴”とかいう印象を持ったことないんだけどな。いや、そりゃ耳鳴りが中々消えないとかはあるけどさ(笑)。


ということで、今回はギターのフィードバックのお話。


エレクトリック・ギターにおけるいわゆる“フィードバック奏法”(エレキギターのボディがギターアンプからの大音量に共振してしまうのを逆手にとって、弾いた音を長く伸ばしたり、マイクのハウリングのような耳障りな音をわざと出してみせる奏法)は、ハードロックの勃興とともに発生したもので、常に、暴れたり壊したり燃やしたり、といった“ワイルドな振る舞い”とともに演じられ語られてきた。
だから、“フィードバック/ハウリング=過激・凶暴”というイメージは一般に浸透しているし、事実、メタルやグランジ以降のラウドな音楽においては未だにそういう“意味”をまとっていると思う。ライブの最後の曲やアンコールが延々フィードバックの嵐で、急性難聴のまま帰宅するとかね。


んでも俺は、少なくとも、最近の大友氏の演奏には、ギターにせよターンテーブルにせよ、例えどんなに大音量でも、“過激・凶暴・ワイルド・狂気”という印象は受けないんだな。
特にライブとかで、延々とフィードバックで音を伸ばし続ける場面なんて、むしろFilamentでの演奏と同質の、静けさというか、空間に音がみっちりと充満する、音がまるで“結露する”かのような瞬間を感じることがある。


大友氏のギターやターンテーブル演奏におけるフィードバック/ハウリングは、俺のイメージ的には、陶芸家がロクロで土を持ち上げてる様子に近い。陶芸家がロクロと土でやってることをギターとアンプでやっている、という印象。


音のロクロ。フィードバックという、アンプとギターのボディ/ピックアップ(マイク)の間でどうしようもなく立ち上がってきてしまう、音。それを取り扱う大友氏の“手つき”は、非常に繊細で、時としてフェティッシュでさえあり、ワイルド・凶暴=粗暴さとは対極にあるように感じる。
だから、このアルバムは再聴に耐えうる作品になりえているのだと思う。


Tsuge's Free Improvisation の津下さんの日記より。
http://www1.harenet.ne.jp/~tsuge/nikki2005.html

きれいなアコースティックの響きを生かした優しい感じの曲とフィードバックのノイズ演奏が収められている。特に技巧的に感心するのは、4曲目の「Mood Indigo」(Ellinton - Bigard - Mills)である。ノイズを除くどの曲もミュートをうまく使っていて、やさしさも郷愁も情緒もほんのりと漂う程度の控えめさがあるから、何度聞いても飽きることがない。


selvasupinaさんの日記より。
http://d.hatena.ne.jp/rfalbemuth/20050223

でも全く「うるさい」という感じではありません。
ノイズには感じられません。フィードバックノイズのはずなのに。


KDMさんの日記から。
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/3313720

どんな甘いメロディを奏でようと、どんな過激で凶暴な振る舞いを行おうと、大友さんの音楽からある種の厳しさと静謐さが消えることはない。まるで鉱物が啼いているようだ、と思う。


ほらー、分かってる人は分かってる。