Video Killed The Movie Songs


俺は基本的に、よそ様のサイトやブログに首を突っ込んだりブックマークやトラックバックをして論評したりしないようにしているのだが(もし何か誤解を受けて炎上したりするのがコワイので)、たまにはそういうこともやってみようかというテスト。


大学時代からの友人 FUNA 氏がやっている映画のサウンドトラック・レビュー(及び親馬鹿日記)サイト『ひねもすサウンドトラック』に興味深い記事があった。


サントラ専門サイト:ひねもすサウンドトラック 映画音楽日々是好日
http://homepage3.nifty.com/hinemosu-soundtrack/


もう10周年なのか…。すげえなぁ。


「サントラのポピュリズム
http://homepage3.nifty.com/hinemosu-soundtrack/profile/webmaster/webmast200904.html

 要するに、70〜80年代までは、「スコア」が商売になった、サントラ商品として販売が見込めた時代だったのではないでしょうか。 いや、もちろん、今の映画でもスコア・サントラは発売されているし、それなりに売れてはいるのでしょうが、おそらくは当時ほどには、インストゥルメンタル曲で「一発あてる」ほどのビッグヒットを期待できないのではないかと思うのです。


今や、その位置は、「ビバリーヒルズ・コップ」や「トップガン」以降、ボーカル曲が中心。 もちろん、昔だって「主題歌」のヒットは枚挙にいとまがないわけですが、同じくらいのパワー=商品力を、当時のインストゥルメンタルのテーマ曲は持っていたのではないかと思っているのです。 くわえていえば、ビデオのなかった時代の「映画の追体験」という機能は、昨今のサントラにはほとんど求められていないから、「商品」となる音楽=サントラ盤も、より単独の作品として鑑賞可能なもの=ボーカル曲にシフトしていっています。


何が言いたいかと言うと、私の世代は、あるいは私より上の世代のサントラ・ファンって、その「スコアが商品力を持っていた」時代にサントラ・ファンになっているのです。 インストゥルメンタル曲が好きになれば、その変形である劇中のバリエーション・スコアにも興味を持ち、「テーマ曲をアップテンポにしたあのシーンの曲が欲しい!」と、サントラ盤を買いに走ったものでした。 


商品力があって世の中にメジャーに存在する「テーマ曲」と、劇中のスコアとの間の垣根がけっこう低かったのです。


ということで、調べ魔の私が「スコアが商品力を持っていた時代」を調べてみましたよ、と。


ソースとしては、幾つか候補を考えたんだが、とりあえず
ココ↓
PRiVATE LiFE - エンタメデータ&ランキング
http://www.geocities.jp/entamedata/
(この充実度は凄いな…アフィリエイト・サイトなんだろうけど、これだけ内容が濃ければ許せちゃう)


ここの「年間シングルヒットチャート」から、
http://www.geocities.jp/entamedata/music/top_single.html
映画音楽のテーマ曲または主題歌を抜き出してみる。


以下、ヒットした年・年間順位・枚数・曲名/演奏者・『』内は元の映画のタイトル、を示す。

1968年  7位 58万枚 サウンド・オブ・サイレンス/サイモン&ガーファンクル 『卒業』

1969年 40位 28万枚 白い恋人たちフランシス・レイ・オーケストラ  『白い恋人たち
1969年 50位 22万枚 ロミオとジュリエットサウンドトラック 『ロミオとジュリエット

1970年 43位 24万枚 雨の訪問者フランシス・レイ・オーケストラ 『雨の訪問者

1971年 12位 41万枚 小さな恋のメロディビー・ジーズ 『小さな恋のメロディ
1971年 24位 32万枚 ある愛の詩/アンディ・ウイリアムス 『ある愛の詩
1971年 30位 30万枚 この胸のときめきをエルヴィス・プレスリー 『エルヴィス・オン・ステージ』
1971年 35位 29万枚 ある愛の詩フランシス・レイ・オーケストラ 『ある愛の詩

1972年 20位 37万枚 ゴッドファーザーの愛のテーマ/アンディ・ウイリアムス 『ゴッドファーザー
1972年 48位 23万枚 ゴッドファーザー〜愛のテーマ/尾崎紀世彦 『ゴッドファーザー

1978年 33位 36万枚 恋のナイト・フィーヴァー/ザ・ビージーズ 『サタデー・ナイト・フィーバー

バカ売れである。


参考までに、21世紀に入ってからの邦楽シングルチャートを列挙してみる:
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2001.html
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2002.html
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2003.html
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2004.html
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2005.html
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2006.html
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2007.html
http://www.geocities.jp/entamedata/music/music2008.html


うわ…なにこの凋落ぶり。いやぁ…ホントに今、ミリオンって無いのな…。


それはともかく。


かつて、映画主題歌/テーマ曲は、レコード会社としても十分に「イケる」つまり「商品力を持った」音楽だったのがレッキとした歴史的事実であることが立証されたといえるだろう。


さて。


あらためてこの年間ヒットチャートを見てみると、
http://www.geocities.jp/entamedata/music/top_single.html


現在のように「邦楽(←この呼び方紛らわしいから嫌い)/邦楽」というキッパリした区分があるわけではなく、ごく普通に、歌謡曲といわゆる洋楽が共存していることに感慨を覚える。


これは恐らく、当時は洋楽のヒット曲が生まれると日本人歌手による「カバーバージョン」が(曲によっては複数の歌手の競作で)出るのが一般的であって、リスナーは「オリジナルの洋楽曲」「日本人Aの日本語カバー」「日本人Bの日本語カバー」を選んで聴いていた、という事情があるからだと推測される。


映画主題歌/テーマ曲も、当時はこのような広義の「洋楽」の一部としてリスナーに受け入れられていたのだと思う。


例えば『ある愛の詩』なんて、オリジナルサウンドトラックには歌詞付きの歌は存在しないのに、これに歌詞をつけてアンディ・ウィリアムスが歌い、それを岩谷時子が訳して雪村いづみが歌い、という具合である。「ゴッドファーザー愛のテーマ」も同様。この曲は確か、尾崎紀世彦の他のオリジナル曲のB面だったのが、後々A面の曲よりもヒットしてしまって尾崎の十八番になってしまった、といういわく付きだったはずだ。


なお、1972年から1978年までの間が少々開いているが、これは、この時期下記のような映画がブームだったからと思われる:

パニック映画ブーム
1973年 ポセイドン・アドベンチャー
1974年 大地震
1975年 エアポート75 
1975年 タワーリング・インフェルノ
1975年 サブウェイ・パニック
1975年 ジョーズ
1976年 カサンドラ・クロス
1976年 グリズリー
1977年 オルカ
1977年 エアポート77
その他有象無象のパチモン多数

カンフー映画ブーム
1974年 燃えよドラゴン
1974年 ドラゴン危機一髪
1974年 ドラゴン怒りの鉄建
その他有象無象のパチモン多数

オカルト映画ブーム
1974年 エクソシスト
1974年 ヘルハウス
1975年 悪魔のいけにえ
1975年 デアボリカ
1976年 オーメン
1977年 キャリー
1977年 サスペリア
その他有象無象(以下略)

SF映画ブーム
1978年 未知との遭遇
1978年 スター・ウォーズ
1979年 宇宙空母ギャラクティカ
1979年 スーパーマン
1979年 メテオ
1979年 マッドマックス
1979年 エイリアン
1980年 スタートレック
1980年 スター・ウォーズ帝国の逆襲
その他(略)


ただし、パニック映画からもモーリン・マクガバン「モーニング・アフター」「タワーリング・インフェルノ 愛のテーマ」といった佳曲が生まれていたし、ラロ・シフリンによる『燃えよドラゴンのテーマ』も大ヒットしたし、『エクソシスト』のテーマ曲は言わずと知れたマイク・オールドフィールドチューブラーベルズ」だし、イタリアのプログレバンド“ゴブリン”による『サスペリア』のテーマ曲もヒットして未だにTVの心霊スポット番組で使用されるし、言わずと知れたジョン・ウィリアムズスター・ウォーズ:メイン・テーマ」は永遠のマスターピースであるし、“映画を元にしたヒット曲”の系譜は連綿と続いていたのである。


だが。


1978年以降、映画のサウンドトラックや主題歌がヒットチャート上位に上るのがパタリと止まる。


これは恐らく、下記の2つの要因によると思われる。

  • 1978年1月からTBS系で『ザ・ベストテン』放映開始。
  • 1981年8月から米国で『MTV』放映開始。


ザ・ベストテン』が放映されていた1978年から1989年までのシングルヒットチャートを見ると、年間売上と『ザ・ベストテン』での順位がほぼシンクロしているのが分かる(違うのは演歌系のヒット曲が年間を通じてじっくりと売れ続けた結果、年間売上では上位に収まっているのと、ツイスト、ゴダイゴ原田真二といったロック系が年間売上では振るってないという点くらいだ)。


つまり80年代においては『ザ・ベストテン』のランキングとシングル盤ヒットチャートはニアイコールだったのであり、そこに洋楽の一環としての映画主題歌・テーマ曲の入り込む余地は既に無くなっていた。


また『MTV』以降、FUNA氏が述べるように、映画のテーマ曲はビルボードチャートの常連ポップシンガーを起用した主題歌(ただし劇中に使用されることは少なく、タイアップ曲として主にエンドロールに使用される)が主流となった(例外は、ヴァンゲリス炎のランナーのテーマ』くらいしか見当たらない)。シンガーが映画のワンシーンを背景にして歌うPVが量産されてワールドワイドなヒット曲となり、全世界では数千万枚単位の売上をあげるようになっていった。


サウンドトラック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF
(「大ヒットした主なサウンドトラック」の項を参照)


だが、それらはあくまでもハリウッドと米国ポップス産業の徹底したグローバルなプロモーション展開の奏功によるものであり、すでに日本の大衆が70年代に広義の洋楽として受容していた映画主題歌/テーマ曲とは、市場の商品としても、大衆文化の一環としても、似て非なるものに変容してしまっていた。


つまり。


ミュージックヴィデオの席捲によって悲劇に見舞われたのは、ラジオスターだけではなかったのである。