不在の絵画:ヴィルヘルム・ハンマースホイ展
まったく知らない画家だったのだが、mixi の美術コミュで紹介されていて、その静謐な画面に一目で惹かれて出かけた。これは驚くべき展覧会だ。行ってよかった。必見だと思う。
すっかり更新停滞しているにも関わらず、日記に急きょ記す事にしたのは:
- マイナーな画家なので、これを逃したら今度いつ開催されるか、または再び来る事があるのか分からない
- 日経新聞・朝刊の文化面(『私の履歴書』とか小説の載る面ね)に載ってしまった
- NHKで放送されてしまう(11/16・教育テレビ『日曜美術館』、11/17・BS-Hi『迷宮美術館』)ので、来週以降、観客が殺到すると思われる
という理由による。来週以降はバカみたいに混むと思われるので、行くなら混雑する前、世間の目が同じ上野の『フェルメール展』に向けられている今のうちだ!
ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情 - 国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/current.html
(魚拓)
http://s02.megalodon.jp/2008-1018-2318-54/www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/current.html
公式サイト(トップは要Flash)
http://www.shizukanaheya.com/
http://www.shizukanaheya.com/news/index.html
ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)は、生前にヨーロッパで高い評価を得た、デンマークを代表する作家の一人です。没後、急速に忘れ去られましたが近年、再び脚光を浴びています。ハンマースホイの作品は17世紀オランダ絵画の強い影響を受け、フェルメールを思わせる静謐な室内表現を特徴としています。室内画の舞台は自宅であり、登場人物として妻のイーダが後姿で繰り返し描かれました。イーダの後姿は、我々を画中へと導いてくれるのですが、同時に、陰鬱な室内と彼女の背中によって、我々は「招かざる客」かのような拒絶感も覚えることとなります。
アートエンターテインメント 迷宮美術館 サイコロジカル・ミステリー 〜アートで読み解く人間心理〜
http://www.nhk.or.jp/bs/meikyu/#housouyotei
誰もいない部屋こそ美しい:北欧の画家・ハンマースホイ - 新日曜美術館
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/1116/index.html
ハンマースホイの人と主な作品は下記を参照。
Google 検索
google:Vilhelm Hammersh?i
google:image:Vilhelm Hammersh?i
会場は6室に分けられている。
- ある芸術家の誕生
- 建築と風景
- 肖像
- 人のいる室内
- 誰もいない室内
- 同時代のデンマーク美術
やはり最も注目すべきは4・5番目、人が一人(多くの場合背中を向けて)室内に佇み・座る風景と、
誰もいない無人の部屋だけを描いた一連の絵画だ。
(絵葉書をスキャンした画像なので画質悪くて申し訳ないが…)
一瞥しただけで、非常に特異な存在感を湛えた画面であることが分かるだろう。ぶっちゃけ俗っぽい言い方をすると、この人「変」である。展覧会のタイトルにある「詩情」という概念から、これほど遠い画家もいないだろう。
執拗に反復して描かれる「背を向けた人物」と「無人の部屋」のモチーフ。そこには、一般的な絵画における、モデルにポーズをとってもらったり・静物を色々と配置したりして作品を創り上げる際に画家と対象物の間に生じる一種の交感作用のような感覚が、拒絶/排除、はたまた抹消されているようにみえる。確かに画家という存在は制作の過程では「対象を前にして不在者として存在する者」ではあると言える。では、作品を通して「不在を描く」「視線の拒絶を描く」ことは可能か。それは画家にとってはどのような営為なのか。ハンマースホイの作品の前に立つと、そのような述懐に囚われる。
さらに。
今回、このように回顧展として代表作が一堂に会した結果、画家本人が企図しなかった「俯瞰図」が鑑賞者である我々の前に広げられることになった。
ピアノのある居間を描いた一連の作品。
Interior with Ida Playing the Piano
Interior. Young Woman Seen from Behind
同じ部屋なのに、パースが妙に伸縮しているのである。ある作品ではやけにだだっ広い部屋に見えるが、別の絵を見ると人が通るのに不自由なんじゃないかというくらい手狭に見えたり。これは、当時、それぞれの作品1枚を入手した注文主には分からない点だろう。展示室をぐるりと見回してみると、眩暈に似た感覚に襲われる。特に上記の4枚目の絵。良く見るとなぜかピアノが壁にめり込んでいるし、窓辺の女性は、脚が省略されてきちんと描かれていない。他の作品では、椅子の脚が1本省略されて3本になってる絵などもある。
会場の解説パネルの説明によると、ハンマースホイ本人が会心作と任じていた作品は、やはり無人の部屋を描いた作品や、二人の人物を描いた肖像画なのにモデルが妙な具合にお互いに視線を逸らせてる絵など、であるらしい。どうも、この人の作品からは神経症的というかパラノイア的なものを感じてしょうがない。
会場の最後・第6室は、付録・補遺として、当時のハンマースホイのエピゴーネンの画家たち(友人や義弟)の作品が掲げられているが、その世俗的な(決して悪い意味ではないし、出来も悪くない。実際に当時はハンマースホイより評価され「売れた」らしい…)「穏やかな良き家庭の風景」を描いた絵と対比したとき、ハンマースホイの特異さがことさらに際立ってくる。
フェルメールなどオランダ/デンマークの民俗絵画と、ジョルジュ・デ・キリコ、エドヴァルド・ムンク、レオン・スピリアールト(Leon Spilliaert)をつなぐミッシング・リンクとしてのヴィルヘルム・ハンマースホイ。興味を惹かれたかたは、ぜひ混まないうちに。