手塚夏子WS@門仲で発表したこと2
手塚夏子さん主催のワークショップ、2日目の発表をメモ。
手塚夏子
http://www.members.aol.com/natsukote/top.html
http://natsukote-info.blogspot.com/2007/07/1.html
明らかに、仙台掘川から入って、この地図で見ると右側の倉庫で貨物の積降ろしをする水路だったと思われる。
このバンクもどきの、ここの“切れ込み”を良く見ると、倉庫入口のシャッターの位置とピッタリ一致している。
つまり倉庫と、かつての水路の間にはレールとかクレーンとかの何らかの運搬設備が敷かれていて。ここで貨物の積降しをしたのだと推測される。
“川の幽霊”の生前の姿を探す
前日に続いての俺の観察テーマは、「“川の幽霊”が確認できたのなら、その“生前の姿”は確認できるか」ということであった。
ホッパーだよホッパー。“工場萌え”ゴコロをくすぐる、サンダーバード2号の色をした素敵なマシーン群。
水門管理事業 - 東京都建設局
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/chisui/gigyou/suimon/suimon-jigyou.htm
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/chisui/gigyou/suimon/gainenzu.htm
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/chisui/gigyou/suimon/map.html
亀堀公園の“川の幽霊”の生前の姿というのは、規模こそ違え、こういうモノだったのかも知れない。
こういうのを、頑丈で壊せないコンクリの基部だけ残して埋め立てると、
埋め立てられ暗渠化され、公園や遊歩道に“トマソン”として残っている“川の幽霊”と、現役の水路の設備。
この二つの間には、いわば“時間が折りたたまれている”、そんな印象を受けた。
もう一つの“折りたたまれた時間”
さて。
今回の探索行で、気付いて印象深かったものが、もうひとつある。
これを見て欲しい。
これは5年前、「ライスギャラリー(旧佐賀町エキジビットスペース)」や「小山登美夫ギャラリー」を擁したいまは亡き「食糧ビル」の屋上に据えられていた祠と鳥居である。
実は同じ方角を向いているのだ。
つまり、これらの鳥居は、隅田川の氾濫を抑えるための結界なのである。決壊を防ぐ結界。いや駄洒落じゃなく。
すなわち。
同じ仕事をしているのである。
これはスゴいことだ。スゴくねぇ?
思えば、江戸の街が開かれて以来、大川(隅田川)流域で暮らす事は、常に洪水との戦いだった。戦後の高度成長期に、行政は土木/治水技術の粋を集めてこれらの設備を造り、徹底して氾濫と水害を抑えてきた。
だが、江戸時代から戦前までは、隅田川沿いにこのような結界を張ることによって、何とか水害を食い止めようとしていたのであった。いわばサイキックなパワーによる防波堤。まさに荒俣宏『帝都物語』の世界。
これらの鳥居と祠は、役割を終えると共に、その殆どはいまや取り壊されてしまっていることだろう。現に食糧ビルも既に無く、今は高層マンションになっているし。
だが、戦前くらいまでには、この川沿いには、ズラリと、こういう風に結界が張られていたのかもしれない。そう考えるとワクワクして来ねぇ?
【隅田川への結界マップ(想像図)】
そう。
時間が折りたたまれているのである。
おわり。