オルタナティブとしてのレニー・トリスターノ(3)

前の日記で、色々ソースを示したけど:
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20061004#p2

ジャズのシェーンベルク (Times誌)

オレにはヤツが白いセロニアス・モンクに思えた (マイルス・デイヴィス

バップの演奏を直接的に受けながらも、殆ど唯一と言っていいかもしれませんが、バップを独特な形で取り込んで、自分の音楽を作ることに成功した白人ミュージシャン (菊地成孔

ウネリ、グルーヴといっても、もちろん、全身が踊り出すような単純明快なノリでない。「屈折グルーヴ」だと思う。だが、このなんともいえない独特なウネリは強力だ。 (高野雲)

無調で、音響とその運動性それ自体の強度によって成り立っているという点でフリー・ジャズの先駆と言えるのではないか。 (鈴木治行

いつしかジャズ界の趨勢はこの盲目の天才を遠く隔絶した立場に置きざりにしてしまったが、このアルバムはそうした一人の理想家があらゆる妥協を拒否した後に辿りついた究極の姿を映しだしたものとして誠に感銘深いものを内蔵していると言わねばなるまい。 (粟村政昭)

こんなに色々、どれだけ特異な存在だったか語られるのに、一般的なジャズ本では「孤高のピアニスト」どまりになってる人も珍しい。そこらへんをもっと掘り下げられないか、というのが、ここしばらく俺がグダグダやっていることなのである。


さて、改めて整理するが、トリスターノを特異なアーティストたらしめてるものは何だろうか。基本的には、下記の3点、とされる。

  • 特異なスタイルのソロ・ピアニスト
  • 厳格・峻厳な教師&バンド・リーダー
  • 世界初の“宅録・打ち込み”アーティスト

それでは以上のそれぞれの点について検証していってみよう。

特異なスタイルのソロ・ピアノ

まずはアトランティックのアルバム "Lennie Tristano"(Atrantic 1224 - 邦題:鬼才トリスターノ)と "New Tristano"(Atrantic 1357)。

鬼才トリスターノ(完全生産限定盤)

鬼才トリスターノ(完全生産限定盤)

New Tristano

New Tristano

現在はライノからと2イン1でリイシューされている。

The New Tristanto

The New Tristanto


俺、これ初めて聴いたとき、「この人、ホントは別にジャズとか愛してないんじゃねぇか」と思った。ぱっと聴くとバド・パウエル直系の速弾きピアニストに聴こえるが、パウエルの異様さとは別種の異質な感じ。パウエルのピアノっていうのは、あれは要はアウトサイダー・アートっつうか、ぶっちゃけキチガイの音楽なわけだが、そういうモノホンの統合失調系の狂気とは異なる、もっと理知的で抑えた狂気。マッド・サイエンティスト的な。ハンニバル・レクター博士っぽいというか。言い過ぎですか、言い過ぎですね、すいません。


ピアノの演奏スタイルとしては簡単に言っちゃうと:

  • スイング/グルーヴ/バウンスetc という、ジャズを始めとする黒人音楽のリズムの特徴をバッサリと切り捨てた、均等で正確な、メトロノームのような左手のリズム・パターン
  • いわゆる“パウエル系”“バップ・マナー”のソロ・ピアノに、ヨーロッパ現代音楽の無調・十二音的な音を足した右手のソロ
  • アタック感の強い、硬質(金属質と言ってもいい)でパルス的なピアノの音色
  • “息継ぎ感”のない、延々と続く異様に長いフレーズ

という風になるわけだが。


聴いてると、聴きなれたバップ・フレーズに時折り変な不協和音が混じってきて、しばらくするとまた戻る、という波のようなものが繰り返す、という印象だ。それが独特のウネウネとうねるようなフィーリングをもたらしてるのだろうと思われる。ちょうど、マイルス・デイヴィスのバンドで注目されていた頃のジョン・スコフィールドみたいな(ジャズ/フュージョン聴いてきた奴にしか分からない例えか?)。ジャズ/フュージョン・シーンでいう、“アウトする”感覚の元祖とも言える。


(書きかけ。以下続く。さすが夜中は、「はてな」異様に重くて更新しずらいな。もしかしてどっかで炎上してる?)