オルタナティブとしてのレニー・トリスターノ (2)

例によって、Google News Archive Search で見つけた Time 誌の記事から。


ジャズのシェーンベルク - Time 誌・1951年8月27日
http://www.time.com/time/magazine/printout/0,8816,815278,00.html


次は、またもや“青本”(「東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編」)から。

えーと、そういった演奏の中でも、バップの演奏を直接的に受けながらも、殆ど唯一と言っていいかもしれませんが、バップを独特な形で取り込んで、自分の音楽を作ることに成功した白人ミュージシャンを紹介しておきましょう。えーと、これこれ、レニー・トリスターノです。この「クール・ジャズ」の始祖、とかって言われることもあるんですが、五○年代に一般的に流行した所謂「クール・ジャズ」とはちょっと異質ですね。もっと個人的な要素が強い。(p.61)

この人は目が悪かったってこともあってか、かなり早い時期から個人で自宅にラボみたいなスタジオを持ってですね、そこで自分の音楽を演奏させるために弟子を育てたり、多分、ジャズ史的には初めてだと思うんだけど、ピアノの多重録音とか、ベースとドラムスをクリックを聴かせながら先に録音して、で、その上に自分のピアノをダビングしたり、といった実験を行っていた人です。トリスターノのスタジオにレッスンに行ったら、なんか部屋が真っ暗なんでおかしいなーって思ってよく見たら、みんなそこにいた(笑)。先生、陽が暮れたから電気つけましょう!とかって言えない雰囲気だったんだと思いますが(笑)。(p.62)

この、暗くなったのに先生に声かけられなかったっつうエピソードは、ビル・クロウ「ジャズ・アネクドーツ」にも出てくる。今ちょっと手元に本が無いんで引用できなくてごめん。

ジャズ・アネクドーツ (新潮文庫)

ジャズ・アネクドーツ (新潮文庫)

まぁ、ピアノの演奏スタイルを聴けば、生徒に優しい先生だったか否かは如実に分かろうというものだ(笑)。


続いては、小川隆夫マイルス・デイヴィスの真実」から。

マイルス・デイヴィスの真実

マイルス・デイヴィスの真実

マイルスとレニー・トリスターノの関わりについて。まずは、後にトリスターノに師事するリー・コニッツの証言。

「マイルスと初めて会ったのは、一九四五年か四六年ごろのことだ。親しく話すようになったのは、その後、「スリー・デューセズ」(引用者注:ニューヨーク52番街にあったクラブ)に彼が出演していたときで、トリスターノのトリオも出ていた。マイルスと会っているうちに、トリスターノとも親しくなって、わたしは彼の影響を受けるようになった。
そのうちギル(引用者注:ギル・エヴァンス)も仲間に入ってきて、さまざまな音楽談義をするようになった。あのころは、みな新しい音楽に燃えていた。ちょうどビバップが誕生する直前のようなムードが漂っていた。わたしたち四人は、ビバップのホットな演奏に飽き飽きしていたから、もっと知的で情感を抑制させたクールな響きが欲しいと考えていたんだ」
(93ページ上段)

クールの誕生」直前の状況をビビッドに伝える貴重な証言だ。


続いてはマイルス自身の言葉と小川氏の回想。

残念なのは、彼がトリスターノについて発言している記録が残されていないことだ。ぼくがマイルスに会っていた時点で、このことを重大視しなかったのは大きな失敗である。彼はあるとき、こう語っていたのだ。
「ギグが終わったあと、何度かトリスターノに、その日、彼がやっていたハーモニーについて質問したことがある。どれもユニークで、オレにはヤツが白いセロニアス・モンクに思えた」
この話をこれ以上進めなかったことが悔やまれる。おそらくマイルスは、トリスターノからかなりのアイディアを得ていたに違いない。しかし、その後の彼は、ギルの斬新で思索的な響きを有するブラス・アレンジに傾倒していく。
(同書93ページ下段)

いやー、面白いなぁ。凄い面白い。NHKの番組「その時歴史が動いた」みたい(笑)。結果的にマイルスはギル・エヴァンスとコラボレートしていくことになり、トリスターノに師事することはなかったみたいだけど、たとえ実現しててもこの組合せはうまく行かなかったと思われる。


中国の王朝に例えると、マイルスとギル・エヴァンスって「皇帝と彼を補佐する名宰相」って取り合わせだけど、マイルスとレニー・トリスターノって「皇帝 vs 孤高の儒学者」って感じだ(笑)。始めは“皇帝”のほうから叩頭して教えを請うても、そのうち“皇帝”から疎まれ敬遠され、後に深刻に対立して袂を分かちそう(笑)。絶対うまくいきそうにねー。


閑話休題


マイルスをして「白いモンク」と言わしめ、Time 誌には「ジャズのシェーンベルク」と書かれたレニー・トリスターノ。その音楽のどこがそんなに特異だったのかを考察してみたい。以下続く。


【参考ディスク】

The Lost Tapes

The Lost Tapes

なぜかスペインから発売されたCD2枚組のレア音源集。1枚目は、トリスターノのNY進出前・1945年地元シカゴでのソロ・ピアノと、NY進出後、ウォーン・マーシュ(ts)をフロントに据えた1949年バードランドでのライヴ。

ピアノ・ソロは当時から既にちょっとヘンな、今でいう“アウトしていく感覚”のアドリブ・ラインが出ている。今の耳で聴いても凄い面白い。

バードランドでのライヴは、まさに Times 誌や「マイルス・デイヴィスの真実」に書かれてた、その現場の音源。

2枚目は、リー・コニッツとウォーン・マーシュの2管を擁した1950年ごろのセクステットのライヴ。


この人脈でコニッツをフロントに立てたのが、ジャズ史上の名盤「サブコンシャス・リー」。

サブコンシャス・リー

サブコンシャス・リー


この人脈を使ってコニッツとマイルスが作ったのが、これも名盤、「エズセティック」。

Ezz-Thetic

Ezz-Thetic


いや〜、いいなぁ。一時期、ここらへんの音に凄くハマって、CD買い漁ってたことがある。今回久しぶりに引っ張り出して聴いてみたけど、やっぱ良かった。まったく古びていない、タイムレスな音楽。