モダン/プレ・モダン端境期のジャズの状況(続々)


http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20060918#p1

てな具合に、1940年代〜1950年代のバップの受容というのは、賛否両論、毀誉褒貶のまだら模様だったわけだ。

という前回の日記の続き。


本国アメリカでは、1948年ごろはこんな記事が:


あなたはどこまでツンボ*1になれるか? - Time誌、1948年5月17日
http://www.time.com/time/magazine/printout/0,8816,798637,00.html
(各自、Webの自動翻訳サイト等で翻訳プリーズ。最近の翻訳サイトは精度上がってて、そこそこ意味通じるね。リライトは必須だが)


ディジー・ガレスピーを始めとするバッパー達のオールスター・セッションがヨーロッパ巡業を大成功させて(ノーマン・グランツの興行なのかな?)、凱旋公演としてカーネギーホールで開いたコンサートの記事。


ビバップが当時のヨーロッパのインテリ層にアートとして持ち上げられたり、かの地でのコンサートが大入りという状況が逆輸入されて、保守的な音楽の聴衆もバップをいよいよ看過できなくなってる様子がよく分かる記事だ。でも記者のヒト、金切り声のように音デカいとか不協和音がどうこうとか書いてて、やっぱ分かってないのが笑える(笑)。


これからちょうど約20年後、1960年代にマディ・ウォーターズ等のブルースが、英国のビートバンド勢による「ブリティッシュ・インベンジョン」に伴ってアメリカに逆輸入されて見直されるようになっていくのと同じ図式だね。

*1:差別用語なので今は使っちゃいけませんよ