スティーヴン・スピルバーグ「ミュンヘン」
またまた町山智浩氏(id:TomoMachi)の日記より。
町山智浩アメリカ日記:スピルバーグの「ミュンヘン」は凄かった!
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20051206
前作があんなとんでもない内容↓だったし、
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20050705#p1
もう「脱・超大作宣言」をしちゃってたし、内容からして公開前から問題作になりそうだという前評判は高かったものの、やっぱエグイらしい。
思えば、故・淀川長治がスピルバーグとルーカスを「何でも目に見えるようにしちゃって野暮だこと*1」と評してたように、とかくこの2人は両巨頭というかワン・ペアとして扱われがちだったけど、いまやその距離はとんでもなく離れてしまったなぁと思う。
「何でも見えるようにしちゃう」とはこういうことだ。再掲:伊藤計劃(id:Projectitoh)さんのレビュー。
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050701#p1
虐殺とは、人をゴミのように処分することだ。と、字ヅラ書いてもそれはレトリックに過ぎない。しかしスピルバーグは視覚の人だ。たぶん視覚で人を変えることができると信じている男だ。「人がゴミのよう」、結構、ではあなたが軽々しく使ったレトリックを、実際に映像としてお目にかけよう。そしてスピルバーグは実際に人間をゴミにするのだ。大人気ないとはそういうことだ。
再び、町山氏の日記。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20051206
なぜ、スピルバーグが今、この映画を作ったのか? その理由はあまりに明確だ。
アブナーに暗殺任務を与えた上官(ジェフリー・ラッシュ)とイスラエルの首相は「テロと断固戦わなければならない。これも中東の平和のためだ」と言う。
そのセリフはどっかの大統領が言ってることと同じだ。
....それにしても、ユダヤ系のアーティストって、ジューイッシュとしてのアイデンティティを表現の中枢にすえると、極端に変わるねぇ。ただ....民族アイデンティティというのはジューイッシュに限らず、“呪縛”になっちゃうという“両刃の剣”の面もあるのが厄介だ。例えばマサダ以降のジョン・ゾーンなんかは(以下自粛)