斉藤徹+今井和雄デュオ「100歳の軌道4」


珍しくいきなり音楽論から始まったりするけれどご容赦。


一般論だが、通常、ジャズやフリージャズのインタープレイでは、片方が何か“大技”を繰り出すと相手が「お、そうきたか、それならこっちはこうだ!」と応じて、更に「お主やるな、それではこれでどうだ!」という具合でコールアンドレスポンス風に“丁々発止”の技のせめぎ合いになる、という演奏が繰り広げられる。


それをお客さんが観て聴いて「おぉ、大技キターーーー!」と盛り上がる訳だ。これがフリージャズが良くプロレスとか格闘技に例えられる所以であって、こういう格闘技系ジャズ/フリージャズの快感には抗い難い魅力がある。


それに対して、いわゆる“フリー・インプロヴィゼーション”は、そういう“技のやりとり”を意識してやるのはやめよう、お互いてんでバラバラに演奏してみて、何が起こるか試してみよう、それでも“何かが起こる”はずだから、というのが出発点だったようだ(デレク・ベイリーの著書「インプロヴィゼーション」およびその他フリーインプロ第一世代のアーティストの発言を総合すると)。


その“何かが起こった”瞬間が、初めて録音されてレコードという形で届けられたのは、Incusデレク・ベイリーだと思う*1。共演者とお互いに全く干渉していないのに、同時に演奏しているそれが、高レベルの“音楽”として“なりたっている”という衝撃。あの演奏に漲る異様な緊迫感。「こんな音楽が有り得るんだ!」というインパクトが、その後のフリー・インプロヴィゼーションに多大な影響を及ぼしたことは間違いない*2


そして、新たな“何かが起きた”演奏がここにある。斎藤徹氏と今井和夫氏によるデュオのシリーズ、“100歳の軌道”(お互い今年で50歳で足すと100だかららしい(笑))。


この日のライブが4回目だということだが、俺は今回が初めてだった。1回目から行かなかったことを激しく後悔している。マジで。


使用楽器は、斉藤氏はベースのみ。パーカッションやインドのハーモニウムは使用せず。あとベースのペグにウインドチャイムを下げるのもやらなかった*3。今井氏も、紐や鎖を使って弦を擦ったりプリペアしたりはせず、“普通”の演奏に終止。真っ向勝負というか、ケレン味を配した演奏。


演奏じたいは、すべていつもの斎藤氏、いつもの今井氏のとおり。つまり彼らにしてみると新奇な試みをしていることは一切ないのだが…一緒にプレイすることで、驚くべき激しい化学変化が起きている。相性というのもあるだろうし、長年競演してきたというのもあるだろうが、この二人の競演の間の交感・共鳴には特別なレベルの高さがある。ほかの共演者が足し算や掛け算だったらこの二人は“階乗”、みたいな(斎藤氏の共演者でここまで高いレベルに至れるのは他にミシェル・ドネダくらいしかいないだろう)。


お互い、相手の出音に無頓着に勝手にガンガン弾いているにも関わらず、演奏がシンクロしていく。例えば、今井氏がコードストロークを「ジャッ!」と止めた瞬間、斎藤氏が偶然同じ音域でハーモニクスを弓奏してて、まるで和音をそのまま引き継いでいるように聞えるとか。二人で同じ脳みそを共有しているのではないかと思ったくらい。


偶然にして必然。これは、ノンイディオマティックなフリー・インプロヴィゼーションの真髄に迫ることではないだろうか。


このような演奏に接することができるのは稀有な体験だ。インプロのファンならば、必ずや経験するべきだと思う。つーか行け(キレた木村拓也風)。

*1:うろおぼえだけどIncus 9(これはソロだけどね...)とかIncus 12(ハン・ベニンクと)と、あと忘れちゃならないレイシーとのデュオ、Incus 26 "Company 4" あたり?

*2:日本では故・間章がベイリーやレイシーを招聘して熱心な評論活動を展開したおかげというのもあると思う。ただし…間の、独特なクセのある、過度にロマンチックでおセンチな文章は、個人的にはどうも…なぁ、と思います(笑)。

*3:斎藤氏はバール・フィリップスとベースを交換してから、ケレン味っぽい演奏が減って、楽器を思い切り良く鳴らす、という演奏が増えた気がする。ここら辺の変化については今度会ったら聞いてみよう