大友良英NEW JAZZ FESTIVAL@新宿ピットイン

凄い入り。新ピで200人以上入っているのではないか。こういう完全フリーインプロ系コンサートでは異例も異例だ。改めて大友氏のオーガナイザとしての才覚を感じる。

会場左前方、PA前に着席(Jazz & Nowのお二人に感謝します)。
よって以下のレビューは、席位置(左スピーカの音が特に大きく聴こえた)によるバイアスが掛かっていることをお断りしておく。


1. アクセル・ドゥナー(tp)井野信義(b) DUO

ドゥナー氏のトランペットは、通常のトランペットの管から、小さめのトロンボーンのようなスライドが伸びている変則的なもの。

曽我部 清典さんの「ゼフィロス」に似ている。

が、後日ネットで検索してみると、どうやら管楽器メーカーのホルトン社が開発し、ジャズ・トランぺッターのメイナード・ファーガソンの使用で知られる(俺は知らなかったけど) "Firebird" モデルという機種らしい。

んで、演奏が始まり、ドゥナー氏がそのスライドを伸ばして「フシューーーーッ」という息音を出した瞬間に、周りの空気が変わった。

うわっ、あの音だ

John Butcher - Xavier Charles - Axel DornerによるPotlach盤、"The Contest of Pleasures" の、あの音。ただブラスの管に息を吹き込んでいるだけなのに、未知の異教徒の宗教音楽のように聴こえるという。

このときのセットは、「いわゆるジャズっぽい」演奏と「音響派的な」な演奏が交互に行なわれるという、ありそうで無かった形で進行した。数分ごとにそれらが交互に演奏されるという。

ジャズっぽい演奏のときのドゥナー氏は、安定した確かなテクニックを感じさせる、ケレン味のないプレイに終始。冬の曇天を思わせるかすれてくぐもったような音は、トマス・スタンコを連想させる。かなり好きなタイプ。

しかし、フリーインプロにおける、「あの音」に敵うとは思えない。それほど素晴らしい。

井野氏もジャズ風演奏では乗りの良いウォーキングベースを、インプロの演奏では(斎藤徹氏のトレードマークでもある)プリペアドやウィンドチャイムを下げるのやビリンバウのように撥でたたくのを繰り出していたけど、どうしても「合わせている」感じになってしまうのは否めない。

とにかく、あの音、それにつきたようなセットだった。


2. コル・フラー(p)大友良英(g, turntable)Duo

「サンダルの貴公子」フラー氏と大友氏のデュオ。
大友氏はギターに(多分)リング・モジュレータを掛けた音を多用。ターンテーブルは、何も無いところに針を落として雨音のような針音と、たまに物がぶつかる音を聴かせる演奏。
フラー氏は、ピアノの鍵盤には殆ど触れずに、内部奏法というか、ピアノ内部にモーターとか泡だて器とかドリル(先端には刃物ではなくプラスチックの輪っかが嵌っている)を載せていく(あと、E-Bowもあったかも?)という演奏。

これもまた良かった。「フィ〜〜〜〜〜〜〜〜ィイインーーーー」と立ち昇るピアノ(には聴こえないが)のドローン音に「コーン、カキーン」と金属質に加工したエレキギターの音と「サラサラサラ.....」というターンテーブルの針音がかぶさり、なんとも言えないいい気持ちに。フラー氏はたまに鍵盤を押さえるのだが、これが音を出すという目的とは全く違って、あくまでミュートのオンオフ、とか、中に置いてあるもののミキシング、という感覚なのも凄い。トンチというか、発想の勝利だ。


...ということで前半終了。素晴らしく満足感の高い演奏だったのだが、これが必ずしも後半に持続しないところが、インプロ系コンサートの難しいところでもあり面白いところなのでもあった...。


3. コル・フラー(p)秋山徹次(g)マッツ・グスタフソン(bs)Trio

秋山氏は、帽子+サングラスに、早くも花粉症なのか?立体マスクをかけて登場。怪しい、怪しすぎる。楽器はヤマハのフォークギター。長いゴムバンド1本でギターのボディを弦ごと括ってミュートしてある。ネックとブリッジ近くには棒を挟んでプリペアしてあり、更にあちこちにテープのようなものが貼ってある(うち一つはコンタクトマイクをガムテープで固定していた模様)。グスタフソン氏はバリトンサックス一丁。

秋山氏は、この、わざとまともな音が出ないような状態にしたギターで、弦やボディを擦ったり叩いたり、スライドバーで弾いたり、コンタクトマイクをじかに擦ったりして、チュンチュン、カチカチ、コトコト、といった、かそけき、儚い音を出していった。

フラー氏は前半と同様、ピアノの上に色々と物を置いていく演奏。前半よりも鍵盤を弾く量が多い。特に、ほおっておくと中で勝手に鳴り出してしまうようなセッティングにわざとしておいて、鍵盤を弾くことによってそれを止める、という演奏を多用していた。

グスタフソン氏は激しいアクションで演奏するが、出る音は切れ切れの断続的な、吃るような破裂音やキーの開閉音。「バッ......ブワッ.....ベコッ.......ボッ......(激しく痙攣)」というような感じ。ただその時折出る音はかなりデカい。鋭い空手の突きのような。

んで、演奏が進むにつれて問題が出てきてしまったのだが、グスタフソン氏は「乗って」くると、かなりデカい音になってしまうのであった。しかもフラー氏がそれに応じて、インタープレイみたいになってしまったので、秋山氏の音がかき消されてしまうことが何度も。

これは前述のとおり、俺の席が左PAの前で、全体の音を均等に聴き取れていなかったかも知れない、という事情が確かに一部ある。ギチギチに満員で場所の移動さえできなかったから、いかんともしがたかったのだが...。だがそれにしても、やはりグスタフソン氏のプレイスタイル(意外とフリージャズ・マナーの人なのね、好きだけど)と、フラー氏の演奏の、その場を塗り潰してしまうような音響によるものだと思う。

つくづく思うのだが、ピアノという楽器は、なかなか手強いというか、厄介な楽器だ。あの楽器は、誰がどう弾いても、演奏の場を仕切る・牛耳る・支配するという感じに、どうしてもなってしまうようなところがある。
これは、個別の演奏家の問題でも「楽器別人間学」(ピアニストという人種はこういうタイプ云々)の問題でもなく、むしろピアノという楽器が、人間にそういう演奏をなさしめる要素を内包しているのではないか。いわば「ピアノのアフォーダンス」。ピアノの音は、どんな演奏をしようともその場を支配せずにはいられない、という呪縛。

そして、フラー氏のような特殊奏法しかしない、いやピアノという楽器を発信器の一種としか見做していない演奏家でも、ピアノを「弾いて」いる限り、ピアノの持っている「空間を支配せずにいられない楽器」という呪縛から逃れるのは難しいものなのか、なんて手強い楽器なんだピアノって、ということを思ったのだった。これを逃れるには、アンドレア・ノイマンの“インサイド・ピアノ”みたいに、楽器自体を解体するしかないのだろうか。


4. アクセル・ドゥナー(tp)、大友良英(turntable)、Sachiko M(sine waves)、大蔵雅彦(reeds) Quartet

大蔵氏は、おなじみの“tube”(洗濯機の排水ホースのような太めで長いホースにサックスの吹き口がついている自作楽器)とアルトサックス、Sachikoさんもいつものサンプラーとミキサー、コンタクトマイク。他の人々も前半と同様の機材。

秋山氏達のセットでの問題点が更に如実に出てしまったのが、最終セットでの大蔵雅彦氏だった...。

大蔵氏は、ホースの先に着けたゴムのチューブ(自転車のチューブのような)を震わせたり、立たせたり萎ませたり(これがペ○スみたいで可笑しい)して、CDのディスクを叩いたりサックスのベルを叩いたりする演奏。要は“吹奏”ではなく、息を吹くことでモノを振動させたり叩いたりしてその音を聴かせる、という演奏なのだが、この音をPAが上手く拾ってくれない。何度もPA卓にマイク感度を上げるようジェスチャーを送るのだがやはり改善せず、ついには諦めて(?)サックスに持ち替えて演奏を始めるが、それも続かない。
やはりOFF SITEのような静かで緊密な空間でないと上手くいかないものなのか、こういう演奏は。悪戦苦闘している大蔵氏を観ているとハラハラしてこちらが辛くなってくる。

一方、Sachikoさんの演奏は、どんな環境でも突出して“強い”。強靭な、と形容してよいような存在感。「ピーーーーーーーーー......(沈黙).....ガツ」という音だけで周囲の空気を変えてみせる。雑誌の「Improvised Music from Japan」でのコピーは「サイン波王国の女王」だったかな?そういう形容が付くのは分かる気がする。先ほどのピアノに関する論考と同様に、Sachiko Mのサイン波も“手強い”存在だ(ただしこちらは、ピアノという楽器が身に纏っている歴史性とかがない分、大分ニュアンスは違う気がするが...段々何書いてるか訳分からなくなってきた....)。

ドゥナー氏は、今度はトランペットのベル部をマイクへ近づけたり離したりすることで音のバリエーションを出す、という演奏を多用していた。いや凄いな。こちらも凄い存在感だ。つうか、ずっといつまでも聴いていたくなる。殆ど、ただ息を吹き込んでいるだけなのに、なぜあれほどの音のグラデーションが醸し出せるのか。

大友氏はやはりターンテーブルの針音中心だったと思う...。俺の聴いている位置からは、姿も音も、ちょっと分かりづらかった。できれば空調を切ってもらいたかったのだが、あの入りで切っていたら暑さと酸欠で死人が出ただろう(笑)。


まとめ

  • 前半の2セットは凄く気に入った。

   できればどこかから音源として出して欲しい。

  • ドゥナー氏の演奏は掛け値なく素晴らしい。
  • フラー氏も凄く良かった。それにしてもピアノってぇのは手強い楽器だ。
  • Off Site系(こんな呼び名でいいのか?)のかたがたは、PAとどう折り合いをつけるのかが今後の課題なのか...?

   今後どうするか、興味を持って見守りたい。


その他
大友氏の日記に「今日とてもショックだったこと、2つ。」
id:otomojamjam
http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20050120/p2

え〜と、せっかく限定で昔のアルバム持っていってオークションしたのに、ほとんど人気なくて・・・ショック。

申し訳ない、今、自宅にアナログプレイヤーないんです...。

宇波氏の日記より
id:hibarimusic
http://d.hatena.ne.jp/hibarimusic/20050120

マッツ・グスタフソンというひとはかなり面白いな。一見したところでは古典的なフリー・ジャズ風味にもみえてしまうが、その実やってることが非常にクリアで情念に身を任せたようなところは皆無である。

確かに。あと、パワープレイ志向に見えるのは単純にガタイがいい(凄いがっちりしてる)からかも知れないと思ってみたり。