老残と熱死――追悼・平岡正明


ちょっとどうしようか迷ったのだが、やっぱ一言いっとくか、ということでメモ。


評論家の平岡正明さん死去 
http://www.asahi.com/obituaries/update/0709/TKY200907090217.html
平岡正明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E6%98%8E


俺の子供時代から思春期のころ、1970年代半ばから80年代にかけては、いわゆる左翼運動がダメになり、それに関わっていた人間の一部が腐って狂信化していく過程と平行している。実際、俺が通っていた高校の、文化部系部室棟の奥のほうはよく分からない連中のアジトと化していたし、進学した大学がこれまた輪をかけて腐れサヨクの巣窟だった。


当時その大学の文科系サークルは「文化部連合」という組織が取りまとめていたのだが、ココを牛耳っていたのが某・社青同系のセクトだった。彼らは言わば「大学内総会屋」みたいな事をやっており、(今では信じがたい話かもしれないが)サークル部室の割り当ては「成田空港闘争」のデモや「団交」名目の教授の吊るし上げに部員を動員した回数や数などの「協力度」によって便宜が図られていた。


つまり「○○粉砕△.□□(←日付)決起総会」みたいなデモに参加した人数が多いと、来年度以降、部室が広くなったり予算が増えたりする、という。


そしてそういう動員に「人身御供」「通過儀礼」として狩り出されるのは言うまでも無く新入生であって、ご多分に漏れず、俺も「動員」される羽目になったのだった。


忘れもしない真夏の炎天下。何に反対してるんだかよく分からない名目のデモ。文連(文化部連合)から支給されたヘルメット。それは強烈な、眼に滲みるような「おじいちゃんの枕の匂い」を漂わせていた。俺の前にこのヘルメット被ってたヤツ何歳だよ、って。


(これは昭和の終わりごろの出来事なのだが、要するにこのエピソード自体が、すでに20年以上前から左翼活動は主に中高年が主体のものだったという証左なのである)


さあ、デモが始まる。事前に先輩からは、まるで遊女の水揚げの際の置屋の主人のように因果を含められている「黙ってハイハイ言うこと聞いときゃすぐ済むから」と。


被りましたよ。歩きましたよ。なんだかよく分からないお題目のようなシュプレヒコールを唱和しましたよ。よく分からないから最後の「〜を許さないぞー」しかちゃんと発音しなかったけど。「アダダダダダ…を、ユルサナイゾー」って。


真夏の炎天下、まったく信じてもいない思想信条のデモに強制的に付き合わされて、ジジイの枕の匂いがするヘルメット(当時は加齢臭という用語はなかった)を被って歩く気持ちが分かるかよ。


そんな俺の暑い夏の記憶(失笑)からも、もうそろそろ四半世紀が経過する。だから俺のサヨク嫌いは自慢じゃないが筋金入りである。21世紀になってからゴー宣やらサピオごとき低レベルのヘイトクライムを斜め読みしただけでいっぱしの反左翼気取りの馬鹿ネトウヨのオコチャマとは年季が違うのである。


さて。


俺が好む音楽の守備範囲は、いわゆるポスト・フリージャズ以降の音楽やら現代音楽やら実験音楽だったりするのだが、ライブ後の打ち上げの雑談でこういう話をすると、相手の反応は以下の3種類に分類される。

  • ガッカリする(主に年上のかた):「あ、そうなの…へぇ。それはまぁ、残念だ」(何が!?)
  • ホッとする(主に同年代のかた):「あ、そうなんですか!あー良かったぁ、実はもっとコワい人かと思ってドキドキだったんですよ」(どういうイメージだったんだよ)
  • 無関心(主に年下):「へーそーなんですかー(棒読み)」


上記3者の反応とも、それぞれ別種の微妙にムカツく点があるのだが、まぁそれはそれとして置いといて。


前置きが長くなった。


俺が平岡正明について語る場合、以上のようなバイアスがかかっていることを前提としていただけると幸いである。


さて、ここからが本題。


70年代後半以降、俺が10代から20代前半の頃、ロックやジャズやフリージャズや現代音楽などの「強烈な音楽」(若い皆さんには想像もできないでしょうが当時は現代音楽も「強烈な音楽」だったのですよ)を聴いて自己の内面に生じた情動を、どうにかしたい、少なくとも何とかコトバにしたい、そのための何か手がかりが欲しいと思ったとき、わが国にはおおまかに言って以下の3種類の言説しかなかった:


俺にはその3種類のいずれも「異なるカタチの馬鹿の有り様」にしか思えなかったし、どれも同じくらいに嫌いだった。


だが、当時この手の物言いをひねり出せるワカモノは、その程度で十分インテリ扱いだったのであり、当時の俺はその程度のレベルにすらたどり着けない底辺音楽ファン層をウロウロしていたのであった。つまり、上記のどれにも違和感を覚えているものの、自分は彼らより更にアタマが悪いのでどうにもできないその他大勢、みたいな。


そんな中で、最もクセが強くて影響力が大きかったのは、平岡正明のジャズおよび周辺文化に関するエッセイだった。


平岡の文章は、落語で言うマクラのように、ブントがどうした○○○(←特定セクト名:いまやどうでもいい)がどうしたという「活動家の武勇伝」から始まるのが常である。


俺は、平岡の本を何冊か読んでそのパターンに慣れてからは、平岡のその手の話題は読み飛ばしてから「本題」を読むという習慣がついてしまった。落語家でも「あの師匠は、あのつまんない時事放談のマクラさえなけりゃあもっとイイのにねぇ」という人が何人かいる。俺にとって平岡が語る「政治」はその程度のものにすぎない。


さて。


以上のような欠点(人によってはソコこそが本質と主張するだろうが)を超えてもなお、平岡の文章には掛け値なしの魅力があることは認めざるを得ない。くやしいぃっ!


平岡の文章の魅力とは、以下の3点に収斂する:

  • 強烈なリズムでグルーブする感覚
  • 祝祭的な酩酊感
  • 麻薬的な中毒性


なによりもまず、その文章そのものが持つリズム感・スピード感が凄い。読んでいるとまるで「コトバでできたジェットコースター」のような感じがする。このリズム感とスピード感には、後続のライターの誰も、追いつけていないと思う。


さらに(これはある種幸福な時代だったからこそ可能であったことであるのだが)例え殺伐とした現実や左翼の内ゲバについて言及しながらも、どこか「イエー!お祭りだー!」というような祝祭的な気分が伝わってくる。


その魅力に「シビレた」「ハマった」若者には、もう一生その影響から抜け出せない(人生を踏み外したとも言えるけど)一種ドラッグ的な魅力を備えた文章だったのは、紛れもない事実だと思う。


そして。


それら平岡の文章の魅力は、いずれも、すぐれたジャズ/フリージャズが備える美質と同等のものだ。


つまり。


かねてよりあちこちで言及されているとおり、平岡正明の文章はまさに「ジャズそのもの」であり、平岡自身もまた紛れもなく“ジャズマン”だったのだと言える。


べ、べつにファンとかなんだとか、そういうんじゃ、ぜんぜんないんだからねっ!!(////)


さて。


とは言うものの。


平岡の本を、ジャズやら歌謡曲の本やら何冊か読んでみて、俺自身は次第に「政治的な意見の相違や好悪を超えても、これはやっぱり違うのではないか」と思うようになった。


なぜなら。


「音楽そのもの」と「音楽を語るコトバ」は、言うまでもなく決定的に異なるものだ。


音楽を語るとき、その言葉はどうしたってその音楽に対して批評的に振舞わざるを得ない。


批評的に振舞うとはどういうことかといえば、音楽を相対的に捉えてしまう、ということである。つまり、「音楽を語るコトバ」は、それが肯定的・否定的の如何に関わらず、音楽を「腑分け」つまり解剖・解体、俺の苦手なネオアカ(死語?)用語で言うと脱構築せざるを得ない。


音楽を語る者は、どれだけ音楽を愛していようとも「音楽をコトバにすることはその音楽を殺すこと」という覚悟を持つべきだと思う。


だが、“ジャズマン平岡”の文章は、そのようなものではない。平岡は根っからのジャズマンなので、その文章は、聴いたレコードとの“セッション” になってしまっている。あるいは同世代の日本のフリージャズミュージシャンとの応酬は、例えそれが批判や言い掛かりでその後喧嘩や揉め事になったとしても、それはまごうかたなくインタープレイであったと言える。


そのような平岡の言動は、70年代末〜80年代初頭の俺にとっては「音楽を語るときそれは違うんじゃないか」という強い違和感をもって受容された。


以上の理由により、70年代末〜80年代以降の俺は、フリージャズ、ポスト・フリージャズ、後にワールドミュージックと呼ばれることになるいわゆる第三世界の音楽etcに深くハマっていくにもかかわらず、平岡および『ニュー・ミュージック・マガジン』的な“史観”とは一定の距離を置いて、というかむしろ“反面教師”として「ああは成りたくない」対象として接するようになっていった。


なので、80年代後半以降、21世紀にいたるまで、平岡の文章にはほぼ没交渉だったといっていい。


久しぶりに平岡の文章に接したのは、もう記憶がおぼろげだが確か足立正生の映画『幽閉者』公開記念のムック本か何かに寄稿した文章だったと思う(腹が立って捨てたので出典に当たることが出来なくて申し訳ない)。


その文章たるや…、すさまじい酷さだった。


もう、平岡の上の世代の予科練崩れや特攻隊崩れの兵隊が闇市の飲み屋でクダを巻きながらしゃべったに違いない“武勇伝”となんら変わらないレベル。「当時の俺たちはこんなに熱かった」みたいのを、若い編集者に請われてトクトクと語っているのだが、これがもう見苦しいったらありゃしない。読んでいて「無邪気な老醜」という形容を思いついた。


さらに。


最晩年のご著書は、こんなシロモノである。
アマゾンの「中身拝見」機能で折り返しの惹句と目次と冒頭の数ページを読めるようになっているが、全体の概要もこのとおりである。

新書457昭和マンガ家伝説 (平凡社新書)

新書457昭和マンガ家伝説 (平凡社新書)

なんだよこりゃ。

「昭和ノスタルジー商売」なんざ、ねじめ正一あたりにまかせときゃいいんだよ。


ちょっと脱線するけど。


あれだよ?若い世代は全く御存じないかも知れないが、ねじめ正一って文壇デビューは「前衛的な現代詩人」だったんだよ。サングラスかけて長髪で、煙草くゆらせながらフリージャズのウンチクをヒトクサリするような奴だったんだよ。まぁ詩のクオリティは今で言うと町田康の散文みたいなレベル止まりだったけど。


それが今やアレですよ。昭和ノスタルジー長嶋茂雄の思い出話でメシを食ってる好々爺ですよ。現代詩もフリージャズも、世に出るための方便にすぎなかったわけですよ。ずいぶん舐めた真似をしくさったもんだよな。


閑話休題


だが、そんな平岡センセイの落魄の末の昭和ノスタルジー本でさえ、文体には未だに一気に巻末まで持っていかれる魅力が残っているんだから、こりゃまた厄介なものなのである。


結局、平岡センセイの晩年は、政治的には老残(善意にとれば「任務完了」)だったが、“話芸”としての文体の冴えは、円熟の境地にあったと評価せざるを得ない。


話芸としても終わってて石原慎太郎テリー伊藤にしがみついてる今の立川談志の老醜とは質が違うのだよ。


さて。


平岡亡き後、残された我々の問題は何だろうか。


我々はいやおう無く「平岡なき後」のコトバの世界を生きなければならない。


平岡の言説には多くの問題があり、その中には現代には通用しない事柄も多い。


だが、そのコトバが湛えていた圧倒的な芳醇さが、次世代に継承されないことは非常に残念に思われるし、かつてのある種の豊かさから断絶されている現代の言語状況の絶望的な貧困さは、いま改めて問題として拾い上げられてしかるべきだと思う。


なぜなら。


今や、真面目な奴は退屈で、声が大きい奴らは馬鹿ばかりだからだ。


若い世代の人々はいまいち気づいていないようなので改めて指摘したいのだが、この世の中にいる馬鹿には、二種類の人間がいる。


「馬鹿をやってる」人間と「もとから馬鹿」な人間だ。


「馬鹿をやれる」のは、馬鹿ではない人間だけに許された特権である。「もとから馬鹿」な人間には「馬鹿をやる」ことは元から不可能だ。「馬鹿をやる」には「馬鹿である」ことの外部に踏み出さなければならないが、「もとから馬鹿」な人間にはまず自分が馬鹿であることが認識できないし、馬鹿な自分に「外部」が存在することすら想像できないからだ。


平岡正明は「新左翼三バカトリオ」と呼ばれた一人だが、彼らはあくまで「馬鹿をやってる」側の人間だった(ただし太田竜は除く)。


jazzとは、米語の本来の語義は「狂騒、興奮、いかがしさ、けばけばしさ、法螺話」という意味であり、元々は白人の側からの黒人音楽に対する蔑称のひとつだった。ジャズ・ミュージックとは本来的に、いかがわしく、耳障りで、放埓という意味で社会的に危険な音楽であった。


その意味で平岡の言動は、その言説のリズムだけでなくその本質において“jazzy”であり、平岡は、吉本のように“転向”して世間と折り合っていくのではなく、飽くまで“ならず者”という語義どおりの“ジャズマン”としての人生を貫徹することを選んだ。


今、わが国は、未曾有の混乱と貧困の中にある。


この状況を晩年の平岡はどう思っていただろうか。おそらく、どうとも思っていなかっただろう。いや、むしろ「いいぞ、もっとヒドくなれ」とほくそえんでいたのではないか。


なぜなら、平岡はこの国が良くなることも、平和になることも、これっぽっちも望んでいなかったからだ。


俺は、いまのこの世界は、よりよく、平和になっていくべきだと考える。だから、平岡の言説は俺にとっての“敵”でありえる。


そんな、ならず者としての平岡なき世界。それは、平岡の死に伴い、より良き世界になりえるといえるだろうか。


俺は懐疑的である。


我々の前には、平岡なき後の、絶望的なまでに空疎で貧困なコトバの世界が、主にインターネットの世界に、熱死(宇宙の熱的死)後の宇宙のように茫漠と広がっているばかりだ。


経済的な貧困への手当ては、与党・野党、左翼・右翼ともに、いま現在の最優先事項と目されており、(どのような形をとるにせよ)早晩に対処されるだろう。


だが、平岡的なコトバの芳醇さが滅した世界の貧しさをどうすればいいのか。誰もそれが深刻な問題とは想像すらしていないし、誰も何もしていない。


世界は寒い。


これからますます寒くなっていくだろう。


俺にも何をどうしたらいいのか、分からない。


もし、若い世代で「なんだかよく説明できないけど、なんかマズい気がする」という人がいるならば、とりあえず、平岡正明の著作を読むことから始めてみてはどうだろうか。

  • うはwwwwサヨクの成れの果てキモスwwwwww となるか、
  • ちょwwwwこのジジイ超ファンキーじゃね? となるか、
  • 人生で初めて師と呼べる人に出会えました。となるか。


それはアナタしだいなのである。


お勧めリンク先:
http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20090711/p1
http://d.hatena.ne.jp/SIU/20090305/1188831315
http://dorakulife.at.webry.info/200907/article_2.html
http://uk0kke1.blog68.fc2.com/blog-entry-14.html